村社 産霊神社

      2016/10/03

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概 要

社 号 産霊神社
読 み うぶすなじんじゃ

所在地 豊岡市竹野町三原178-2

旧地名 但馬国美含郡桑原郷(のち竹野郷)神原村
御祭神 高皇産霊神 配祀)神皇産霊神 天照皇大神
『国司文書 但馬故事記』にある神原神社ではないだろうか?
御神紋
例祭日 9月5日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
甲賀郡 8座  大2座  小6座

近代社格制度
創建   年代不詳
本殿様式

境内摂末社(祭神)

一口メモ

以前桑野本の桑原神社へ行き、ついでの川南谷まで登ったことがあるが、それ以来2度めだ。三原の谷は初めて。廃校になった小学校の前を南に進む。小さな集落の間に神社の参道らしき石段があった。鳥居も社号標もないので、違うかも知れないと思いながら、長い石段を登った。行かなかったが、少し先の坂を登ると、三原の中里がある。中里が本集落である。竹野町の最南端で、すぐ南は日高町神鍋である。

谷が深いのにかなり集落が点在して、古くは桑原郷は桑と養蚕のため開いた土地で、さらに植林を生業としたようだ。

歴史・由緒等

 創立年月不詳

 元禄7年(1694)本殿を建立し、文政12年(1829)同殿を造立す。

初め三原字中里に鎮座せられしも嘉永初年(1848)雪崩のため社殿押し出されて倒壊せしかば同5年(1852)現在地に遷座再建せり。

明治6年(1873)10月村社に列せらる

「兵庫県神社庁」

『国司文書 但馬故事記』
人皇44代元正天皇は天下に令して、地方の荒れ地を開かせ、三世一身の制を定め給う。
然るといえども三世尽きれあれば、すなわち公に還す定めなり。これを以て、開発を為す者少なし。
人皇45代聖武天皇は、この制(三世一身の制)を改め、永く私領と為す制を定め給う。
これによって、高位高官は更なり、伴造・国造等の旧族に至るまで、国司・郡司の官を罷(ヤ)め、その地に住み、荒地を開き、土地を所有す。これ荘田の基なり。
神亀4年 大いに戸口蕃殖す。故れ口宣を下し、郷里を置く。曰く、佐須・竹野・桑原・美含・香住。
また編戸に満たざるを以って、故れ特に余戸(アマリベ)を置く。
(中略)
また大領・少領・主政・主帳等の子弟・同族は、諸所に出行し、部民を督励し、荒れ地を開く。

桑原臣善積は、河南谷を開き、その祖桑原臣多奇市を星ケ森山に祀り、星神社と申しまつる。(河南谷は今の川南谷)
桑原臣善友は、苗原を開き、天熊人命を苗原ノ丘に祀り、(苗原神社・式内桑原神社)
杉・檜を杉谷に作り、熊野大隅命を杉山に祀る。(杉山は今の須野谷)
また水災を祈り護う為、瀬織津姫神を大川森に祀る。(大川神社 豊岡市竹野町御又80-1)

これ苗原神社・神原神社・熊野神社・大川神社・佐受神社の始めなり。

高皇産霊神は別命高木神であり、木の神様でもある。須野谷同様、杉・檜を作り、高皇産霊神を祀ったのだろう。

境内・社叢

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しかし石段途中に2度休む平なスペースがあるが古い石段なので段差が小さい。こうした狭い石段は2段ずつ登るがきつかった。 境内は草が生い茂っている。社殿まで奥行きがある。

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本殿覆屋

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奥に境内社 祭神不明

地名・地誌

 

三原

神原神社が当初の社号とすれば、神原(みはら)が三原に改められたものと思われる。

地 図

豊岡市竹野町三原178-2

交通アクセス・周辺情報

参 考

 - 豊岡市竹野町(美含郡) , ,