交野市 大阪(河内国)

磐船神社(大阪府交野市)

 

概 要

社 号 磐船神社
読み: いわふね
所在地 大阪府交野市私市9丁目19-1
旧地名 河内国交野郡
御祭神
天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(饒速日命=あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)

社格等

式外社

創建     不詳
本殿様式   (本殿はなし)

境内摂末社(祭神)

一口メモ

私の住む場所のすぐ近くに豊岡市日高町久田谷がある。全国でも珍しい粉々に破壊された痕跡があるおびただしい銅鐸破片が発見されたことで銅鐸では有名である。十年ほど前、デアゴスティーニの「日本の歴史」を定期購読して、その第一刊の冒頭に久田谷銅鐸と物部氏が取り上げられていたことに衝撃を受けたのが神社に深い関心をもつきっかけだった。

久田谷銅鐸のこのような例は全国でも珍しいもので、数年前、兵庫県立考古博物館館長および香芝市二上山博物館館長を務めておられる石野博信先生の銅鐸破壊実験に参加した。いかにきれいに粉砕するのが今の知識を持ってしても難しいことなのかを教えていただいた。久田谷銅鐸発見場所の対岸にも天磐船長命を御祭神とする岩舩(いわふね)磐社(兵庫県豊岡市日高町道場字山田10-2 白鳥上290)があるのだ。古く気多県主や但馬国造を務めたのも多遅麻物部氏の子孫であり、大いに興味があった神社である。

神武東征と饒速日命(にぎはやひのみこと)ともうひとつの日本(ひのもと)、河内孔舎衛坂(くさえのさか)の地。草香とも書く。枕詞的に「飛ぶ鳥の明日香(邑)」が縮まり飛鳥と書いて「アスカ」と読むが、「日の下(ひのもと)の草香(邑)」が縮まり、日下と書いて(くさか)と読むのである。日下が「日本」になったという。河内の石切劔箭神社辺りに今でも東大阪市日下町という地名が残る。古くは河内国の交野市に合併される以前の岩船村と国は違うが、もっと前は大和国との区別はなく、神社がある場所からすぐ南は府県境で生駒市。生駒山の西に石切劔箭神社・元春日とされる枚岡神社がある。
なぜ、銅鐸は破壊されたのか?河内と大和の中間の生駒山系に最初あった日の下の草香は、物部氏の国は生駒山地。神武東征はそこから大和橿原宮で移りヤマト王権が成立したのか?日本その謎を知りたいので、河内孔舎衛坂(くさえのさか)の地(今の東大阪市日下)と交野の磐船神社をいつか尋ねたかったのである。

グーグルマップのルート検索によると、石切劔箭神社から第二阪奈有料道路を通るルートもあったが、同じ道を往復して往馬大社まで戻るより伝説の通り交野市からの天野川にそって古代の道ルートを辿ってみたかったのである。

歴史・由緒等

創祀の由来

磐船神社は御祭神饒速日命が天照大御神の詔により天孫降臨された記念の地であり、古典によると「河内国河上哮ヶ峯(たけるがみね)」と呼ばれているところです。御神体は命の乗ってこられた「天の磐船」といわれる高さ12メートル、幅12メートルある船の形をした巨大な磐座(いわくら)で、初めて訪れた人々は皆一様にその威容に圧倒されるといいます。

当社は大阪府の東北部、交野市私市(かたのし きさいち)にあり、奈良県生駒市に隣接する、生駒山系の北端、まさに河内と大和の境に位置します。境内を流れる天野川は、10キロほどくだって淀川に注ぎ込みます。この天野川にそって古代の道ができ、「上つ鳥見路」と名付けられ、後世には「磐船街道」とか「割石越え」と呼ばれるこの道(現在の国道168号線)は現在の枚方と奈良の斑鳩地方をむすび、さらには熊野にまで続く道でした。瀬戸内を通り大阪湾に到着した人々や大陸の先進文化は、大和朝廷以前にはそこから淀川、天野川を遡りこの道を通って大和に入るのが最も容易であったと思われます。

またその一方で、古代からの日本人の巨石信仰にも思いを馳せると、天の磐船は古代の人々にとってまさに天から神様の降臨される乗り物であり、その磐船のある場所は神様の降臨される聖域でありました。そしてこの地に出現された饒速日命はまさに天から降臨された神様であり、長髓彦などの豪族たちをはじめ、大和の人々から天神(あまつかみ)として崇敬を集めたのであり、命のお伝えになられた文化が大和河内地方を発展させたものと思われます。そして当社は、天神として初めて大和河内地方に降臨された饒速日命の天降りの地として信仰されてきました。

磐船神社と物部氏

古代における当社の祭祀は饒速日命の子孫である物部氏(もののべし)によって行なわれていました。その中でも特に交野地方に居住した肩野(かたの)物部氏という物部の一族が深く関係していたと思われます。この一族は現在の交野市及び枚方市一帯を開発経営しており、交野市森で発見された「森古墳群」の3世紀末~4世紀の前方後円墳群はこの一族の墳墓と考えられており、相当有力な部族であったようです。また饒速日命の六世の孫で崇神朝における重臣であった伊香色雄命(いかがしこおのみこと)の住居が現在の枚方市伊加賀町あたりにあったと伝承され、森古墳群中最大最古の古墳の被葬者はこの方ではないかとする説が有力です。

-『神社公式サイト』-

 

他に、同じ由来の磐船神社 (大阪府南河内郡河南町平石)がある。磐船大神社を参照。

境内・社叢

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神社社頭                 鳥居

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社号標              社号標裏手の巨石

伴林光平河内の2首の和歌が刻まれている。幕末の国学者・歌人で、仏僧だったが 勤王思想に共鳴して帰俗し、天誅組に加わるが破れて捕らえられ斬罪に処せられた勤王の志士。

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境内社                  手水舎

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ご神体の巨石               拝殿

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岩窟(拝殿左手)

岩窟拝観

多数の巨石が形造る岩窟は、古来より神道家や修験道の行場として知られる。天野川が流れ込み急流となり岩を削り、特別な行法を知らない人でも行になるとされ一般でも拝観できるそうだが、時間が限られているので止めておいた。『神社公式サイト』でご覧になれます。

http://www.osk.3web.ne.jp/~iw082125/gankutu.html
例祭日
春季例祭 5月5日

地名・地誌

交野(かたの)

平安時代、交野市北部から枚方市にかけての丘陵地は「交野が原」と呼ばれ、皇室の遊猟地で桜の名所であった。

1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、交野郡交野村、磐船村、星田村が発足。
交野村 – 郡津村、倉治村、私部村が合併
磐船村 – 寺村、傍示村、森村、私市村が合併
星田村 – 星田村単独
1896年(明治29年)4月1日 大阪府茨田郡・交野郡・讃良郡が合併して北河内郡が成立。
1939年(昭和14年)7月1日 交野村と磐船村が合併して町制施行。北河内郡交野町となる。
1955年(昭和30年)4月1日 星田村を交野町に編入。
1971年(昭和46年)11月3日 交野町が市制施行。大阪府下34番目の市、交野市となる。
1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、交野郡交野村、磐船村、星田村が発足。
交野村 – 郡津村、倉治村、私部村が合併
磐船村 – 寺村、傍示村、森村、私市村が合併
星田村 – 星田村単独
1896年(明治29年)4月1日 北河内郡北河内郡が成立。
1939年(昭和14年)7月1日 交野村と磐船村が合併して町制施行。北河内郡交野町となる。
1955年(昭和30年)4月1日 星田村を交野町に編入。
1971年(昭和46年)11月3日 交野町が市制施行。大阪府下34番目の市、交野市となる。
なお、市政施工前は、北河内郡(現在の大阪府枚方市・交野市・寝屋川市・四條畷市・大東市・門真市・守口市・大阪市鶴見区の全域または一部に相当)で最後まで残った町であった。

地 図

大阪府交野市私市9丁目19-1

交通アクセス・周辺情報


磐船街道(国道168号線旧道)沿い。 駐車スペースあり。
国道1号・天野川交差点より南へ約12km
国道163号・北田原大橋交差点より北へ約2km

公共交通機関
京阪交野線私市駅から、京阪バスにて磐船神社前バス停下車すぐ
近鉄生駒駅から、奈良交通バス北田原行きにて終点下車、徒歩約10分

ホームページ 『神社公式サイト』

参 考

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