概 要

社号 式内社(名神大) 但馬国朝来郡 粟鹿神社 古:粟鹿大明神
読み 古 アハカ、現 あわか、あわが
所在地 兵庫県朝来市山東町粟鹿2152
旧地名 但馬国朝来郡粟鹿郷・朝来郡粟鹿村字西山(大字粟鹿)
御祭神

彦火々出見命ひこほほでみのみこと*1(火遠理命、山幸彦命とも)
日子坐王ひこいますのきみ(谿羽道主命の子・日下部氏の祖)

阿米弥佐利命あめのみさりのみこと 天美佐利命とも

日子坐王命 「兵庫県神社庁には1柱」

『国司文書 但馬神社系譜伝』
彦坐命・息長水依姫命・遠祁都毘売命(亦名は瀛津姫命・うみつひめ)

*1 彦火々出見命(ホオリ。山幸彦、ニニギとコノハナノサクヤビメとの間の子。ウガヤフキアエズの父、神武天皇の祖父)。

例祭日
歳旦祭(1月1日)
祈年祭(2月4日)
破敵祭(3月3日)
御田植祭(4月卯日)
早祓祭(夏越祭)(6月15日)
早祓祭(7月15日)
秋季例大祭(10月17日)

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
朝来郡(アサコ・あさご):9座(大1座・小8座)
式内社(名神大)

中世社格制度 但馬国一宮
近代社格制度 旧郷社・縣社(明治12年5月に県社格如列)
但馬五社の一つ

創建     不詳
本殿様式   神明造銅板葺
境内摂社(祭神)

文化財

粟鹿大明神元記写本(宮内庁所蔵)

勅使門(朝来市文化財)

一口メモ

北近畿豊岡自動車道山東I.C.を降りて、竹田へ抜ける旧道を少し行くと、但馬5社の一つ「粟鹿神社」があります。出石神社とともに但馬一の宮。
北近畿豊岡自動車工事による粟鹿遺跡の発掘で、中世につくられた粟鹿神社の石敷きの旧参道が幅3m、長さ80mにわたって発掘されました。粟鹿神社の参道は、中世の道の資料としては全国的にも稀です。この参道は古代末から中世ごろに粟鹿神社の祭主が「神部直」から「日下部」に交代し、この勢力を誇示するために条里方向と異なった方向に石敷きの参道を造ったものと考えられます。 また、但馬地方では今回初めて方形貼石墓が発見されました。 茶すり山古墳、柿坪遺跡も近く、弥生時代の大型居館跡などがみつかり、山陰道の驛家が置かれていて、播磨路と山陰道の交わる重要な場所だったことは濃くなってきました。

歴史・由緒等

由 緒
和銅元年(708)に祭神や歴代祭主などを詳細に記した粟鹿大明神元記の写本が残る(宮内庁所蔵)

当社は但馬国最古の社として国土開発の神と称す。国内はもちろん、付近の数国にわたって住民の崇敬が集まる大社であり、神徳高く延喜の制では名神大社に列せられた。

人皇第10代崇神天皇の時、第9代開化天皇の第三皇子日子坐王が、四道将軍の一人として山陰・北陸道の要衝丹波道主に任ぜられ、丹波一円を征定して大いに皇威を振るい、天皇の綸旨にこたえた。

粟鹿山麓粟鹿郷は、王薨去終焉の地で、粟鹿神社裏二重湟堀、現存する本殿後方の円墳は王埋処の史跡である。旧県社。

-「兵庫県神社庁」-

朝来郡山東町粟鹿にある神社。延喜式内神。旧県社。祭神は彦火火出見尊とも、四道将軍の一人丹波道主に任ぜられた日子坐王ともいう。また、粟鹿大明神元記によれば大国主命の子天美佐利命を合祀するという。社蔵の田道間国造日下部足尼家譜大綱によると、日下部氏が但馬国造に任ぜられたとあり、その祖が日子坐王である。

大国主命を祖とする神直が粟鹿大神の祭祀をつかさどり、また但馬国造に定められたという(粟鹿大明神元記)。天平9年の「但馬国正税帳」に「粟鹿神戸祖代六十六束二把」「粟鹿神戸調二匹四丈五尺直稲百六十五束」よ見え(寧遺上)
大同元年の神事諸家封戸にも「粟鹿神二戸」とある(新抄格勅符抄)。
貞観16年3月に正五位下を授けられたが、これには「禾鹿神」と記す(三代実録)。

「延喜式」神明帳には但馬国朝来郡九座のうちで、「粟鹿神社」とある。
弘安8年の但馬国大田文には当国二宮で、定田は52町小45歩(鎌遺15774)。
しかし、南北朝期の「大日本国一宮期」や室町期の「延喜式」神名帳註には一宮で、上社彦火火出見、中社籠神艶也、下社豊玉姫云々という(群書2)。

天正年間に豊臣秀吉に社領を没収されたが、慶安2年に粟鹿村内で朱印地33石を与えられた。
境内に17世紀頃と推定される勅使門(町文化財)がある。
例祭は10月17日。瓶子渡しという特殊神事がある。本殿の背後に円形の塚があり、日子坐王の墓と伝える。

「角川日本地名大辞典」1988角川書店から抜粋

*「禾」字はイネ科植物の粟(アワ)を意味し、その穂が垂れる様子に象る。穀物一般の総称としても用いられた。後代にはイネを意味するようになった。「米」が実だけを指すのに対し、「禾」は茎や穂を含めた全体を指している。

*日子坐王(ヒコイマスオウ)(記では彦坐王) 垂仁(すいにん)天皇の皇后日葉酢媛(ひばすひめの)命の父丹波道主(たんばのみちぬしの)命は彦坐王の子という。

「大日本国一宮期」や室町期の「延喜式」神名帳

上社は彦火火出見(ヒコホホデミ)、中社は籠神、下社は玉依媛(豊玉姫)
籠神は丹後一宮籠神社の祭神:海部(あまべ)祖神天火明神のことか。
記・紀神話にみえる神。 海幸(うみさち)・山幸(やまさち)の物語に登場する海神(わたつみ)の娘。彦火火出見尊と玉依媛(豊玉姫)が結婚する。

「特選神名牒」

祭神

神名帳頭註に粟鹿一宮上社彦火火出見、中社籠神艶也、下社豊玉姫云々とあるべし。されど式内神社道志流倍に諸社に天祖皇祖を祭れるは稀なるが上に、五位よりの位階あるは如何(いかが)あらむと云うが如く、彦火火出見尊は習傅なるべし。

神位

仁明天皇承和十二年七月辛酉但馬国朝来郡無位粟鹿神奉授五位下
清和天皇貞観十年十二月二十七日丙戌授但馬国従五位上粟鹿神社五位下
十六年三月十四日癸酉授但馬国正五位下粟鹿神社正五位上

いずれにしても、ヤマト朝廷が確固たる中央集権国家となった時期に、但馬の政治の拠点が朝来(朝来市山東町)から、出石と朝来の中間地点の気多(日高町)へ国府国分寺が設置され、大型前方後円墳も作られなくなり、一宮は出石神社へ変更、丹波は丹後半島から亀岡へ政治の拠点が移り丹後に分けられ、大型前方後円墳が作られなくなっているのと同じく、丹後国一宮籠神社、但馬一宮粟鹿神社共に、祭神が出雲系から天皇系へ交替している。

和銅元年(708年)に祭神や歴代祭主などを詳細に記した『粟鹿大明神元記』の写本が残っている(宮内庁所蔵)。朝廷の信頼厚く、国家の大難に対して4度の勅使が遣わされたと伝えられており、約600年前には勅使門(市の文化財)が建立されている。日下部氏との関係が深いといわれている。

「国司文書別記 第二巻 朝来郡郷名記抄」に、
粟鹿(アワガ)は麁香(アラカ)にして新宮殿なり。新宮殿にいます神、これを粟鹿神と称え祀る。但馬国一宮粟鹿神鎮座の地なり。彦坐命(ひこいますのみこと)・息長水依姫命(おきながのみずよりひめ)・妃の袁祁都比売命(おけつひめのみこと)(またの名は海津姫命)を斎きまつる。

※ 殿を造る斎部の居る所を麁香と言う。

『国司文書 但馬神社系譜伝』
人皇九代開化天皇は、丸邇(わに)臣の祖・彦国意祁都命の妹・意祁都姫命を娶り、彦坐命を生む。
彦坐命は、天御影命の女(むすめ)・息長水依姫命を娶り、丹波道主命を生む。また妹・瀛津姫命を娶り、山代大筒城真若王・伊理泥王を生む。

人皇十代崇神(すじん)天皇(紀元前97年1月13日- 紀元前30年12月5日)の十年秋(紀元前87)九月、
丹波青葉山(わかさ富士)の賊、陸耳ノ御笠(くがみみのみかさ)は、土蜘蛛の匹女など盗賊を集め、(民衆の物を略奪して)良民を害す。

天皇は、(九代開化天皇の皇子)彦坐命(ひこいますのみこと)に命じて、これを討つようにと命じる。
功有るにより、天皇は、丹波・但馬・二方の三国を賜う。よって彦坐命は、12月7日但馬に下向し、粟鹿宮に鎮座す。

人皇十一代垂仁天皇八十四年九月、
朝来県主・大多牟阪命、彦坐命を禾鹿宮に祀る。

人皇十三代成務天皇の五年秋九月、
船穂宿祢命の子・当勝宿祢(まさかつすくね)命をもって、朝来県主となる。
当勝宿祢命は、息長水依姫命(おきながのみずよりひめのみこと)・袁祁都毘売命(おけつひめのみこと)を粟鹿宮に合祀す。

 

 

いずれにしても、但馬国随一の古社で、2000年以上の歴史があるとも言われている。
粟鹿神社の祭主は、古代に神部氏が務め、その後、日下部宿禰が務めるようになった。そして、神部氏と日下部宿禰との接点が『粟鹿大明神元記』にある神部氏系図のなかにみえる。稗史によれば、彦坐王は美濃を領地として、子の八瓜入日子とともに治山治水開発に努めたとも伝えられるが、その後裔氏族は美濃のみならず、常陸・甲斐・三河・伊勢・近江・山城・河内・大和・但馬・播磨・丹波・吉備・若狭・因幡など広汎に分布している。丹波道主命は日子坐王の子とされる。日下部連は日子坐王の子孫とする。日下部氏の一族である八木・朝倉・奈佐など皆、粟鹿神社を祖神として崇敬し、朝倉氏などはのちに越前に移ってその居城中に粟鹿神社を勧請している。

但馬国一宮について

但馬国一宮は出石神社と当社の二社とされる。但し、いくつかの資料で異なっており、鎌倉時代の但馬国大田文では当社を二宮としているが、室町時代の大日本国一宮記では当社を一宮に挙げ、出石神社が記載されていない。現在は両社ともが但馬国一宮を称し、全国一の宮会に加盟している。

境内・社叢


鳥居

  
神門 日の出門


勅使門(朝来市文化財)

  
拝殿                         本殿(奥)

境内社

  
仮殿・天満宮                    猿田彦神社(猿田彦神)

  
厳島神社(市杵島姫命)               床浦神社(大己貴命)

  
茗荷神社(草野姫命)                稲荷社参道(保食神)

地名・地誌

粟鹿(あわが)

粟鹿郷
「国司文書別記 第二巻 朝来郡郷名記抄」に、
粟鹿(アワガ)は麁香(アラカ)にして新宮殿なり。新宮殿にいます神、これを粟鹿神と称え祀る。

「校捕但馬考」に、粟鹿郷
村数
和賀・一品(イツホウ)・早田・柴・粟鹿
今は和賀庄と云う。

地 図

兵庫県朝来市山東町粟鹿2152

交通アクセス・周辺情報

粟鹿山・奥山渓谷・楽音寺・ヒメハナ公園・當勝神社・よふど温泉

参 考

草稿 2009/6/19
改訂
admin @ 2012年11月24日 @ 19:08 [自動保存]

但馬の神社と歴史三部作

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