社号 式内社 出雲国意宇郡 熊野坐神社(名神大)
[旧 称] 熊野坐神社 熊野大神宮 熊野天照太神宮
[別 称] 日本火出初社 出雲国一宮
読み:クマノ くまの
所在地 島根県松江市八雲町熊野2451
旧地名 出雲国意宇郡
御祭神 櫛御食野命
加夫呂伎熊野大神櫛御気野命(かぶろぎくまののおおかみくしみけぬのみこと)と称える素戔嗚尊(すさのおのみこと)
神 紋 一重亀甲に「大」の文字
例祭日 例大祭 10月14日
『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国 187座(大2座・小185座)
意宇郡(オウ):48座(大1・小47)
式内社(名神大)
中世社格制度 出雲国一宮、意宇六社
近代社格制度 旧国幣大社
出雲国神仏霊場第十五番
創建 伝)神代
『日本書紀』(720)に出雲国造をして厳神の宮を作らしむとの記載あり。
『出雲国風土記』(733)に熊野大神の記載あり。
『令義解』(834)に熊野大神の記載あり。
『日本三代実録』(901)に熊野大神の記載あり。
『延喜式』(927)に熊野大神・熊野大社の記載あり。
本殿様式 大社造り。入母屋の妻入り
境内摂社
式内社 出雲国意宇郡 稲田神社(櫛名田比売命 足名椎命 手名椎命)本殿右
合祀 出雲国意宇郡 前神社 少彦名命
式内社 伊邪那美神社(伊邪那美命)本殿左
合祀 出雲国意宇郡 能利刀神社 天兒屋根命 か 太詔戸命
合祀 出雲国意宇郡 田中神社 衢神 か 鈿女命
合祀 出雲国意宇郡 楯井神社 太田命 か 猿田彦命
合祀 出雲国意宇郡 速玉神社 速玉之男命
合祀 出雲国意宇郡 布吾弥神社 埴山姫命 か 埴山姫命 稚産靈命
合祀 磐坂日子命 五十猛命 麓山祇命 爾保都比賣命 山雷神
境内末社
荒神社(素戔嗚尊)
稲荷神社(倉稲魂神)
紙本墨書熊野神社文書(4冊41通、1冊)県指定文化財
意宇六社(神魂、熊野、揖夜、真名井、八重垣、六所神社)の一つ。
朝予定時間ギリギリを承知で松江市内のホテルから向かう。国道431号から県道53号を南西へ5.1km。431号沿いには式内社山代神社、意宇六社の真名井神社、出雲国府跡と六所神社、神魂神社、八重垣神社や数々の古墳などがある。社地は意宇川の上流、三方を山嶺に囲まれた渓流に面している。
出雲の国一の宮として崇拝され、スサノオノミコトを主祭神とする神社です。日本火出初之社も称され、火の発祥の神社としても知られています。古代には、熊野山(現在の天狗山)にありましたが、中世より里に下り、「上の宮」「下の宮」( 現在の場所)として二つの社を持ち、明治に入り、現在の熊野大社の形になりました。
風土記での大社はここ熊野と杵築(出雲大社)の二社である。大神は更に佐太(神社)、野城(神社)の四大神である。 出雲国造神賀詞には「伊射那伎乃真名子加夫呂伎熊野大神櫛御気野命(いざなぎのひまなこ かぶろぎくまのおおかみ くしみけぬのみこと)」の神名である。
イザナギノミコト・イザナミノミコトの可愛がられる御子で、「加夫呂伎」とは神聖なる祖なる神様で、「熊野大神櫛御気野命」とは、この熊野に坐します尊い神の櫛御気野命という意です。
この御神名は素戔嗚尊(スサノオノミコト)の別神名であります。
『出雲国風土記』(733)に熊野大社、『延喜式神名帳』(927)に熊野坐神社と見え、日本火出初神社とも
称され、古来杵築大社(出雲大社)と並びて出雲の国の大社と遇された。
上古朝廷の御尊崇極めて篤く、仁壽元年(851)特に従三位を、貞観9年(867)正二位の神階を
奉らせ給い、且つ殖産興業・招福縁結・厄除の大神として衆庶の信仰が深い。
明治4年国幣中社、大正5年国幣大社に進列された。
特に出雲大社宮司の襲職は当社から燧臼燧杵の神器を拝戴する事によって初まるのが古来からの慣で今も奉仕されている。(神社公式)
由緒沿革 日本書紀及古事記に素戔鳴尊が出雲の簸の川上で八岐の大蛇を平げられて後出雲の清地の地に到り「吾心清々し」と宣い宮造せられた事を載せ、又日本書紀に「素戔鳴尊熊成峯に居まして、遂に根国に入りましき」ともある。現今の御本社は其の御山縁の地に御祭り申したものと伝う。出雲国造神賀詞には加夫呂伎熊野大神櫛御気野命と奉称し、国造奉斎の神の首座に座し、出雲風土記の意宇郡出雲神戸の条に「伊弉奈枳の麻奈子に座す熊野加武呂乃命と(中略)二所の大神等に依し奉れり」とあり。早く神戸のありし事を載せ延喜式には意宇一郡を神戸とせられ、又名神大社として朝廷の崇敬も篤く、出雲国の一の宮としての尊崇を捧げられた。大正五年国幣大社に列した。(神社本庁別表神仕)
紀の神代巻一書の五に、
「素盞鳴尊、熊成峯(くまなりのたけ)に居しまして、遂に根国に入りましき」とある。
根の国は母なる国大地とも、海のむこうの霊地とも考えられているが、大国主が、八十神の迫害を逃れてたずね入った根の国は、素盞鳴の住む冥界としてあつかわれる。
熊成が熊野であり、出雲族は祖神が根の国へ入られた熊野を聖地として、素盞鳴を祀り、国造家が祭りを執り行なった。
静かな社前の左手に、古代家屋を思わせる鑽火殿(さんかでん)がある。熊野大社は、延喜式に「熊野坐神社大名神」とある。素盞鳴から天穂日へ鑽火、即ち火を鑽(き)る術が、伝えられたとの伝承があり、毎年、新嘗(にいなめ)の祭りには、当社から、火燧臼、火燧杵が出雲大社宮司、つまり国造へ授けられる。
鑽火殿はその聖火の殿堂なのである。
…小山 和著「古道紀行出雲路」より
出雲ノ国一ノ宮は、出雲大社ではなくて当社であった。
熊野大社は、杵築大社、即ち今の出雲大社と並んで出雲の二大社であった。
上述文徳実録仁寿元年(851年)の史実や、
三代実録貞観九年(867年)四月の条に、
「八日丁丑、(中略)出雲国従二位勲七等熊野神、従二位勲八等杵築神、並びに正二位を授く」
とあるように、両社は常に並称せられ、両者のための神戸は、意宇・秋鹿・楯縫・出雲・神門の各郡に置かれて、特別な奉斎がなされていた。
熊野大社の祭神については、風土記の『出雲神戸の条』に、
「伊弉奈枳乃麻奈子に坐す熊野加武呂乃命」
即ち、伊邪那岐命の愛児である熊野の神様とだけ見えているが、
『出雲国造神賀詞』には、
「伊邪那伎乃日真名子加夫呂伎熊野大神櫛御気野命」
と見えている。
熊野大神の熊野坐大神は、熊野に御鎮座の大神の意、
櫛御気野大神の「櫛」は「奇」の借字で神秘神聖な意。
御気は「御食」すなわち御食事、野は「主」に通じて主となって掌るをいう。
従ってこの神名は、伊邪那伎命の御愛息である神で、熊野に御鎮坐の大神、神聖な御食事を掌られる神、奇御食主という意である。
これによって考えると、この神は出雲の最高の食糧神と考えられる。この『櫛御気野命』という神名は、他の古典に見えない神名である。
本居宣長は『古事記伝』の出雲国造神寿後釈において、
この櫛御気野神は、須佐之男命御霊を称え奉った御名であると記され、現在でも祭神は、須佐之男命とせられている。
→本居宣長の思想
しかし、出雲神族伝承では「クナトノ大神」を祀るとしている。
本来、櫛御気野命は素戔嗚尊とは無関係であったものとみられるが、学術的には偽書とされている、先代旧事本紀・神代本紀に、
『出雲国熊野に坐す建速素盞嗚尊』とあり、かなり古い時代から、「櫛御気野命」が、「素戔嗚尊」と同一視されるようになったことがわかる。
「富氏口伝」によると出雲の始祖神を「クナドノ大神」とし、「熊野大社」のことを「クナト大社」と伝えている。この「熊野」は「クナト」からの転嫁と考えられる所である。社名の由来は熊野大社の祭神が「クナドノ大神」だったからに相違ない。(中略)
スサノオ尊が出雲王になる以前に「クナドノ大神」がおり、その一族が先住部族だった。「クナドノ大神」を書紀は「岐神」(フナトノ神)敏、「フナト」を「クナド」とも読むと解説しているが、道祖神とされ、訳の分からない存在となっている。古事記では「岐神」は伊弉諾尊が黄泉平坂に追い詰められた時に現れ、逃げていく伊弉諾尊に杖を投げつけて「これよりは過ぎそ」と言ったという。ここまでは出雲政権の支配領域なので越境してくるなと言ったものであろう。
→西野凡夫『新説日本古代史』
和歌山の熊野三山と、出雲国の熊野との関わりに関しては、古来、さまざまな説が唱えられてきた。記紀神話の伝承によれば、伊弉諾尊の葬地について、紀伊と出雲双方に伝承が記されていることは有名だ。『日本書紀』では伊弉諾尊が葬られたのは「紀伊国熊野有馬村」と記される一方で、『古事記』では出雲国と伯伎国(伯耆国)との境、「比婆山」に葬られたと書かれている。
(中略)
これらの伝承には、出雲の熊野系伝承が山陰道から丹後に入り、やがて近畿へと分布したとする出雲系の紀伊伝播説、また、両地における熊野信仰の併存説、さらに幽界の主・素盞鳴尊と熊野との関わりから、出雲・紀伊それぞれの他界観念を熊野の特質とみる説などが提出されている。
(中略)
このことは、出雲・紀伊両国に共通する半島的地形こそに文化の古層の残存形態としての聖地性が反映されている点がうかがわれ、大変興味深い。
しかし現在のところ、その前後関係、移動の経緯について、残念ながらこれ以上は資料的な限界があり、決定的な結論は得がたい「謎」となっているのが現状であるといえよう。
→加藤隆久氏『熊野大神』熊野信仰の謎
社号標と一ノ鳥居 立派な松並木の参道 二ノ鳥居
さざれ石 社号標
社頭掲示板
晴天の日曜日。氏子関係の方々でしょうか。清掃が行われています。
木の三ノ鳥居 手水舎
随神門 舞殿
拝殿
本殿左 伊邪那美神社(伊邪那美命) 本殿右 稲田神社(櫛名田比売命 足名椎命 手名椎命)
本殿 鑽火殿
境内の鑽火殿は当社独特の社殿であり、萱葺きの屋根に四方の壁は檜の皮で覆われ、発火の神器である燧臼(ひきりうす)、燧杵(ひきりきね)が置かれています。(神社公式)
稲荷神社(倉稲魂神) 荒神社(素戔嗚尊)
八雲村
1951年(昭和26年)4月 – 岩坂村、熊野村、大庭村平原地区が合併して八雲村となる。
2005年(平成17年)3月31日 – 松江市、八束郡鹿島町、島根町、美保関町、玉湯町、宍道町、八束町との合併により、新たに松江市となる。
『延喜式の調査』さん、他