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出雲大社荒垣外(境内)摂末社
所在地 島根県出雲市大社町杵築東195
旧地名 出雲国出雲郡
出雲大社には、
8つの境内摂社、3つの境内末社
9つの境外摂社、3つの境外末社
合わせて23の摂末社がある。
出雲大社では、本殿のまわりを玉垣、廻廊内を瑞垣、境内を荒垣の三重の垣根に厳重に守護されている。
摂末社を荒垣※を境として荒垣内摂末社・荒垣外摂末社という。ここでは便宜上、大社が境内とする荒垣と大鳥居から続く参道内の摂末社も境内社とし、境外に分けて手前から順に境内の荒垣外摂末社を掲げる。
※「荒垣」とは本殿鎮座地の四囲にめぐらした石垣と塀で、大社ではこの内側をいわゆる「境内」としている。
社号 祓社(はらいのやしろ)
御祭神 祓戸四柱神
大鳥居の参道右手。
祓戸四柱神とは、瀬津比神(せおりつひめのかみ)、速開都比神(はやあきつひめのかみ)、気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)、速佐須良比神(はやさすらひめのかみ)
祓戸四柱神を祀る。参道大鳥居の東側にあり参拝者が前もって身心を祓い清める社。
出雲大社に参拝する人々は、まずここで身心を祓い清めていただきます。
2つあって、出雲国造家祖神の天穂日命(北)と17代の祖で出雲氏初代の宮向宿彌(南)を祀る。御神座は本殿のある東を向いて、西を向いた主祭神に対面するようにしつらえてある。
西の十九社(改修中) 東の十九社
東西に2つあって八百萬神(やおよろずのかみ)を祀る。神在祭の際、神々の宿舎となる。
荒垣左手
出雲神社(素鵞社、そがのやしろ)
祭神 天穂日命(あめのほひのみこと)
天照大御神の第二子、出雲国造の始祖であり、大国主大神の祭祀をつかさどられ、その神裔は出雲大社宮司家として連綿と続き今日に至っています。出雲大社教の教祖と仰ぎます。
荒垣右手
素戔嗚尊の子の宇迦之魂神を祀る。
読み:そがのやしろ
御祭神 素戔嗚尊(すさのおのみこと)
式内社。父(または祖先)の素戔嗚尊を祀る。本殿の真後ろ、八雲山との間に唯一鎮座する社。
『延喜式神名帳』(式内社)
式内社 出雲国出雲郡 出雲神社
「出雲社」『出雲国風土記』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国 187座(大2座・小185座)
出雲郡(イツモ) 58座(大1座・小57座)
創建
本殿様式
諏訪神社「武御名方神、八束水臣津野神」島根県出雲市別所町72
長浜神社「八束水臣津野命」 島根県出雲市西園町4258
出雲大社摂社素鵞社「須佐之男尊」 島根県出雲市大社町杵築東195
本殿 国重要文化財
出雲大社は明治以前まで杵築大社と呼ばれており、延喜式神名帳には杵築大社(名神大)と式内 出雲神社が併記されている。
祭神 素戔鳴尊(すさのおのみこと)は、天照大御神の弟神で、出雲国の肥河上での八岐の大蛇退治はあまりにも有名。また大国主大神の親神であり、大神に国づくりの大任を授けられた。
風土記の「出雲社」に相当する。
寛文3年(1663)出雲大社の本社造営の節に、素盞鳴尊を合殿にするは適当でないとして之を別にして、素鵞社を本殿の後につくつた。
『古事記』の記述によれば、神産みにおいて伊弉諾尊(伊邪那岐命・いざなぎ)が黄泉の国から帰還し、日向の橘の小戸の阿波岐原で禊を行った際、鼻を濯いだ時に産まれたとする(阿波岐原は江田神社の御池に比定される)。
『日本書紀』では伊弉諾尊と伊弉冉尊 (伊邪那美命・いざなみ)の間に産まれた三貴子の末子に当たる。その与えられた役割は、太陽を神格化した天照大神(あまてらす)、月を神格化した月夜見尊(月読命、つくよみ)とは少々異なっているため、議論の的となっている。 統治領域は文献によって異なり、三貴神のうち天照大神は高天原であるが、月夜見尊は滄海原(あおのうなばら)または夜を、素戔嗚尊には夜の食国(よるのおすくに)または海原を治めるように言われたとあり、それぞれ異なる。
「ウィキペディア」
地元では「素鵞さん」と親しまれ、スサノヲが祀られている。地元の人は拝礼後、後ろにまわり、社に肩をあてると肩こりがなおると伝承している。-『いずもる』より-