別格官幣社 談山神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社 号 談山神社
読み:たんざんじんじゃ
所在地 奈良県桜井市多武峰(とうのみね)319
旧地名 大和国城上郡
御祭神 藤原鎌足公(談山大明神・談山権現)
祭礼  例祭 11月17日

社格等

(元々は寺院)
近代社格制度  別格官幣社
社格制度廃止後 別表神社

創建     天武天皇7年(678年)
本殿様式   春日造
神紋     上がり藤
神仏霊場巡拝の道37番(奈良24番)

境内摂末社(祭神)

惣社・龗(竜)神社・杉山神社・神明神社・稲荷神社・比叡神社・山神神社・祓戸社・春日社・三天稲荷神社
如意輪観音

文化財

■国宝

粟原寺三重塔伏鉢(奈良国立博物館に寄託)和銅8年(715年)

■国指定重要文化財 全建造物

木造十三重塔・権殿・本殿・拝殿・東透廊・西透廊・楼門・東宝庫・西宝庫・摂社東殿・神廟拝所・閼伽井屋・末社惣社本殿・末社総社拝殿・末社比叡神社本殿・摩尼輪塔

一口メモ

式内社めぐりをテーマにしているが、式内社ではない式外社でも、もちろん価値の高い外せない神社がたくさんあります。そのひとつにあげられるのがここ談山神社である。奈良観光で必ずといっていいほど紹介される有名寺社のひとつ。元々は寺院であり、「大化改新」の談合を行った場所というから凄いのです。しかし県道沿いの駐車場はたくさんあるが第一駐車場から階段・坂道を歩くと遠かった。神社下の入口近くにも駐車場があったのだ。

歴史・由緒等

神仏分離以前は寺院であり、多武峯妙楽寺(とうのみねみょうらくじ)といった。
大和七福八宝めぐり(三輪明神、長谷寺、信貴山朝護孫子寺、當麻寺中之坊、安倍文殊院、おふさ観音、談山神社、久米寺)の一つに数えられる。

仏教伽藍は現代も談山神社境内に見ることができ、登拝者も後を絶たない。明治の廃仏毀釈の際に寺を廃し神社のみとなったが、建物は寺院建築をそのまま使用しているため、独特の雰囲気を残している。

拝殿や十三重塔は戦前に何度か日本銀行券の図案に採用されたことがある。

西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の談合を行ったとされる。後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社 号の起こりとなりました。木造では世界唯一の十三重塔をはじめとする重要文化財「社殿群」と、全山が紅葉する調和の美しさは奈良県の紅葉スポットのひとつであり関西随一です。
平成18年3月から平成の大修理がはじまり、平成24年10月にすべて終了しました。

略記

御祭神 藤原鎌足公

舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。
この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。

たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができ、西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。
後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社 号の起こりとなりました。

ここに鎌足公は真の日本国を発想し、日本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしました。
天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いことを知った天智天皇は、みずから病床を見舞い、大織冠(たいしょくかん)を授けて内大臣に任じ、藤原の姓を賜りました。
藤原の姓はここに始まります。

鎌足公の没後、長男の定慧和尚は、留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立しました。
大宝元年(701)には神殿が創建され、御神像をお祭りして今日に至ります。

『神社公式サイト』 www.tanzan.or.jp

鎌倉時代に成立した寺伝によると、藤原氏の祖である藤原鎌足の死後の天武天皇7年(678年)、長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父の墓を摂津安威の地(参照:阿武山古墳)から大和のこの地に移し、十三重塔を造立したのが発祥である。
天武天皇9年(680年)に講堂(現在の拝殿)が創建され、そこを妙楽寺と号した。大宝元年(701年)、十三重塔の東に鎌足の木像を安置する祠堂(現在の本殿)が建立され、聖霊院と号した。談山の名の由来は、藤原鎌足と中大兄皇子が、大化元年(645年)5月に大化の改新の談合をこの多武峰にて行い、後に「談い山(かたらいやま)」「談所ヶ森」と呼んだことによるとされる。

平安時代には藤原高光が出家後に入山、増賀上人を招聘するなど、藤原氏の繁栄と共に発展を遂げた。鎌倉時代には曹洞宗本山永平寺の二世、孤雲懐奘(大和尚)が参学した。

平安時代に天台僧・増賀を迎えたことから、同じ大和国の藤原氏縁の寺院でありながら、宗派の違う興福寺とは争いが絶えず、鎌倉時代から室町時代にかけてはたびたび領地などを巡り争論を繰り広げ多武峯妙楽寺側の十市氏、越智氏と興福寺側の楢原氏、布施氏、北隅氏らの軍勢と小競り合いを繰り返していた。

天仁2年(1108年)浄土院、食堂、経蔵、惣社、大温室、多宝塔、灌頂堂、五大堂、浄土堂や近くの鹿路の村々が悉く焼かれた。特に、十三重塔が承安3年(1173年)興福寺衆徒勢の焼き討ちで消失し、文治元年(1185年)に再興されている。

その後も、永享9年(1437年)からの越智、箸尾両氏の室町幕府軍への抵抗(大和永享の乱)、永正3年(1506年)8月の赤沢朝経軍に対する大和国人一揆(十市氏、越智氏、箸尾氏)の抵抗戦、永禄2年(1559年)からの松永久秀に対する十市氏の抵抗戦の3つを「多武峰合戦」と称し、ここを舞台として戦乱は絶えることがなかった。

天正13年(1585年)、豊臣秀吉により郡山城下に移すことを厳命され破却、遷座。天正18年(1590年)に帰山を許された。徳川家康により復興。近世の朱印領は3,000石余である。

明治2年(1869年)に僧徒が還俗。談山神社と改称された。

境内・社叢

  
参道入口鳥居               手水舎

  
参道石段 通常は通行止めになっており、左手受付から(拝観料 大人600円 小人300円が必要)

  
参道横境内社 祓戸社           拝殿

  
重文 権殿・十三重塔           重文 末社惣社拝殿

  
重文 総社本殿

  
重文 神廟拝所              重文 閼伽井屋

  
重文 比叡神社               杉山神社 神明神社
比叡神社左 稲荷神社 右 山神神社

  
重文 十三重塔         重文 楼門

  
重文 本殿

  
重文 拝殿

  
拝殿(神廟拝所)              重文 東倉庫(重文西倉庫は本殿左手)

  
春日神社                 重文 東殿

  
観音堂・左手奥 三天稲荷神社  神社から旧道の峠に石仏が。多武峰は石仏の宝庫

地名・地誌

地 図

交通アクセス・周辺情報

(公共)JRまたは近鉄桜井駅下車奈良交通バスで談山神社下車
(車) 西名阪天理ICから車で45分

ホームページ

『神社公式サイト』

参 考

要拝観料 個人 大人500円 小人250円 小学生未満 無料

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