名神大 大虫神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社号 式内社(名神大) 丹後国與謝郡 大虫神社
読み:おおむし
所在地 京都府与謝郡与謝野町温江あつえ)字虫本1821
旧地名 丹後国與謝郡

御祭神 大己貴命(おおなむち のみこと)
例祭日 4月24日 春季例祭

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹後国(タンゴ):65座(大7座・小58座)
與謝郡(ヨサ):20座(大3座・小17座)
式内社(名神大)

近代社格制度 旧府社
創建     大江山の中腹の池ケ成の地に小虫神社とともに鎭座
室町時代初期に池ケ成から現在地へ遷座
本殿様式   切妻造銅板葺

境内摂社(祭神)

若宮神社・現皇稲荷神社

文化財

与謝野町指定(括弧内は種別と指定年月日)
石造五重塔1基(建造物、昭和57年6月10日)
経文断片1枚(考古史料、同上) – 昭和4年(1929年)に発見された境内の経塚を発掘したところ、経筒3筒が出土(銅製2、土師器製1)、その中に納められていた経巻の10枚程の紙片の1枚で、「泰氏兄弟」と記されており、この「泰氏」は鎌倉時代中期(13世紀前葉)の丹後国守護であった足利泰氏の可能性があるという。

一口メモ

大虫・小虫両社がありともに名神大社なので、その可愛らしい社 号の意味に大変興味がわく。国道176号線温江(交差点)を東に進む。細い集落道を行くと右側に石柱が見えた。さらに進むと左手に参道。同名社が福井県越前市にもある。

歴史・由緒等

本殿は明治14年の再建。桁行3間、梁間2間の切妻造平入、銅板葺で、千木・鰹木を飾る。拝殿は桁行3間、梁間2間入母屋造平入、瓦葺とする。
(明治16年調『与謝郡神社明細帳』は大山咋命を祀るという異説を併記する)
少童命(明治14年に合祀した阿知江神社の祭神)
大田命(阿知江神社と同時に合祀した床浦神社の祭神)

創建伝承

かつては温江字小森谷の小虫神社とともに大江山中腹の池ケ成(いけがなる)という地に鎮座し、「虫宮(むしのみや)」と呼ばれていた。往昔大己貴命が沼河姫と当地に居住している時、槌鬼(つちおに)という悪鬼が現れ、その毒気に当てられた姫が病気に罹り大己貴命が嘆いていると、小虫神社の祭神である少名彦命が八色の息を吐きかけて槌鬼を追い出して姫は回復したが、今度はその息のために人や動植物が虫病に苦しむようになったため、少名彦命は「小虫」と名乗ってそれぞれの体内から害源である悪虫を除くことを、大己貴命は「大虫」を名乗って体外から病を治すことを誓い合い、鏡を2面作ってそれぞれ分け持ったことから、「大虫」「小虫」の神として崇められるようになったという。

また、用明天皇の第3皇子麻呂子親王(聖徳太子の異母弟)が大江山にいた土蜘蛛という鬼賊を征伐するに際して、自ら刻んだ神像を納めて立願したという伝説があり、他に億計王(おけのみこ。後の仁賢天皇)と弘計王(をけのみこ。後の顕宗天皇)が即位前に潜伏したとも伝えられている。

温江は、『和名抄』に見える与謝郡謁叡(あちえ)郷の遺称地とされ、北接する明石(あけし)にかけての一帯に蛭子山古墳(全長145m)に代表される大古墳や弥生から古墳時代前期に亘る住居跡が集中することから、古代丹後地方において最も開発の進んだ地帯であったと思われ、また、丹波国から丹後の国府(現宮津市国分に置かれていた)へ至る官道(令制における山陰道)が通い、字虫本からは大江山連峰を越えて由良川筋へ連絡する枝道が分かるなど、古代交通上の要衝でもあった。近世までは阿知江郷と書いた。

明治6年(1873年)2月に豊岡県の村社に指定され、同^10^年4月に社殿再建中の失火により社殿や上述の麻呂子親王奉納と伝える神像、境内社に至るまで全焼したため、同^14^年4月に再建するとともに8月には村社阿知江神社(祭神少童命)と無格社床浦神社(祭神大田命)を合祀(ちなみに神像は江戸時代の模刻を祀るようになった)。

境内・社叢

  
案内社号標                    鳥居

  
二の鳥居                     拝殿

  
本殿・拝殿


境内社

地 図

京都府与謝郡与謝野町温江1821

交通アクセス・周辺情報

参 考

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