名神大 廣瀬大社

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社 号 廣瀬大社
式内社 大和国廣瀬郡 廣瀬坐和加宇加賣神社 名神大 月次新嘗
読み:古 ヒロセニイマス ワカウカメ、現 ひろせ
所在地 奈良県北葛城郡郡河合町川合99
旧地名 大和国廣瀬郡

配祀

式内社 大和国廣瀬郡 櫛玉比女命神社(論社) 櫛玉命
式内社 大和国廣瀬郡 穂雷命神社(論社)

境内式内社 大和国廣瀬郡 於神社(論社)
境内摂社 水分神社 水分神

御祭神 主祭神 若宇加能賣神(わかうかのめのみこと) 別名 稲倉魂神(うかのみたまのかみ)
相殿神 櫛玉命 (くしたまのみこと)・穂雷命 (ほのいかづちのみこと)
例祭日
例祭 4月4日
御田植祭 2月11日

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
大和国:286座
大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)
廣瀬郡[ヒロセ]:5座 大1座 小4座
朝廷奉幣二十二社の内の中七社の一社、正一位

近代社格制度 旧官幣大社
社格制度廃止後 別表神社

創建     伝:崇神天皇9年(前89年)
本殿様式   春日造
札所等 神仏霊場巡拝の道31番(奈良18番)

境内摂末社(祭神)

境内末社
祓戸社、稻荷社、祖霊社、絵馬舎
境外摂社 水分神社
境外末社 八神殿社、饒速日命社

文化財

本殿 奈良県指定有形文化財
廣瀬神社の砂かけ祭り(御田植祭) 河合町指定無形民俗文化財

一口メモ

奈良県西部で龍田大社とともに名神大社。

歴史・由緒等

主神若宇加能売命は別名を、豊宇気比売大神(とようけひめのかみ)《伊勢外宮》・宇加之御魂神(うかのみたまのかみ)《京都伏見稲荷神社》・廣瀬大忌神とも呼ばれ、総て同神です。

廣瀬神社は、佐保川・初瀬川・飛鳥川・曽我川・葛城川・高田川等、大和盆地を流れる全ての河川が一点に合流する地に祀られていることから、御主神は水の守り神で、風を司る龍田風神(龍田大社)と深いご縁があります。
天武天皇は、龍田大社・廣瀬神社にて、風水を治め奉る事により、国家安泰を祈願されました。

崇神天皇九年(前89年)、廣瀬の河合の里長に御信託があり、一夜で沼地が陸地に変化し、橘が数多く生えたことが天皇に伝わり、この地に社殿を建て祀られるようになる。          ~当社縁起より~

【創 建】
日本書紀天武天皇四年四月十日(675年)に、小錦中間人連大蓋を遣わし、大山中曽根連韓犬を斎主として大忌神を廣瀬の河曲に祀られたことが記されていて、これが毎年四月四日と七月四日に行われた大忌祭の始まりと伝えられる。

【史伝・社伝伝説】
天武天皇以降、御歴代の天皇より、風雨の調和、年穀の豊穣等の御祈願がされ国家の瑞祥、または禍害あるごとに、奉告御祈願されました。

【日本書紀】
天武天皇十三年秋七月 廣瀬ニ幸ス。
-天武天皇十三年(684年)秋七月、廣瀬神社に行幸される。

【三代実録】
陽成天皇天慶二年七月二十六日大和国廣瀬龍田両社倉各一宇ヲ造立ス。同三年六月十四日大和国廣瀬龍田云々神社ニ遣シ神財ヲ奉ラ使ム。
-陽成天皇天慶二年(939年)七月二十六日、大和の国の廣瀬・龍田の両社に倉を建てさせられた。同13年六月十四日、これらの神社に使いを遣わして建立された倉に財宝を納められた。

【延喜式】
凡ソ、春日、廣瀬龍田等社庫ノ鑰匙ハ官庫ニ納置キ、祭使官人祭ニ臨ミテ、請ヒ取ル。事畢リテ返納ス。
-春日・廣瀬・龍田の社庫の鍵は、神祇官の倉に納められており、お祭りの時派遣される勅使が、社庫の鍵を持ってこられ、お祭りが終わると神祇官に返納された。

【社伝】
社地は元水足池(みずたるのいけ)という広漠たる沼地であったが、里長廣瀬臣藤時に御神託があり、俄に陸地となり、一夜にして丈余の橘数千株が生じた。今拝殿の西側に小池があり、これを水足池という。又、当社の社紋『橘』はこの社伝による。 天武天皇十三年七月、当社行幸のみぎり、新たに廣瀬川(現大和川)に架橋して龍駕を奉納したことから、この所を御幸瀬(ごごかぜ)と称し、橋を御幸橋(みゆきばし)と名付けられた。

【旧社領】
室町時代頃には本社大神の御位田八十町、相殿二座及び摂社の三座に各二十町ほか、神地封土等を合わせ、凡そ五百余町を保有していましたが、永正年間に細川管領の家門に押領され、また天正年間(1580年)に大和大納言豊臣秀長に没収されたことにより、社領が減少し衰頽しました。

【宝 物】
社蔵の宝物古文書等は、永正三年(1506年)沢蔵軒の兵火にかかり、ことごとく灰燼に帰しました。僅かに大永二年(1523年)百済寺僧学辧が書き写した「河相宮縁起」、年代不詳の「旧社地絵図」、元禄十三年(1701年)春日若宮神主中連祐字の記した「廣瀬社勘文」等が伝わるだけです。

『神社公式サイト』

奈良盆地を流れる総ての河川が合流する地点に祀られ、天武天皇は水を司る神と崇め、五穀豊穣を祈願する大忌祭を始められた。現在毎年2月11日に行われる砂かけ祭は、大忌祭の行事の一つであると伝えられている。

『奈良県観光局』奈良県神社庁より情報提供

境内・社叢

  
鳥居                   社号標


広く長い参道

  
二ノ鳥居                 手水舎

  
拝殿                   本殿玉垣

  
拝殿側面から               本殿

  
境内社 日の丸大明神           日吉社 (鳥居右手)

  
日吉社                  鳥居色から祖霊社?


大砲

地名・地誌

河合・川合

この地は佐保川、初瀬川、飛鳥川を始め、曾我川、葛城川、高田川など大和盆地の中心から流れる河川が一点に集まり、大和川となる合流点。物部氏の大和支配の拠点の一つとの見方ができ、長髄彦が仕切っていたのかも知れない。斎主に大山中曽根連韓犬が任じられたのもこの地域は曽根連が根強い力を持っていたことを窺わせる。
古來広瀬の大神は水神として崇められ。境内西側に神宮寺と定林寺があり、かつては定林寺が當社を支配していたという。

地 図

交通アクセス・周辺情報

JR法隆寺駅または近鉄池部(いけべ)駅から徒歩20分またはタクシー8分

ホームページ 『神社公式サイト』

参 考

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