概 要

社号 坂益神社
式内社 但馬国養父郡 板蓋神社
読み:古 イタフキ 現 さかえき
所在地 兵庫県養父市大屋町上山字サカ6-1
旧地名 但馬国養父郡三方郷
御祭神 正勝山祇命(まさかつやまつみ)
『国司文書 但馬神社系譜伝』大彦命(坂合部連の祖)
例祭日 10月8日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
養父郡(ヤフ・やぶ):30座(大3座・小27座)

近代社格制度 旧村社

創建     年代不詳
本殿様式   流造

境内摂社(祭神)

一口メモ

国道9号線を県道6号線に入り、養父市大屋町樽見の手前宮本商店前を左折する。細い舗装路を幾度か曲がりながら途中大きな滝が流れていた。口大屋の大アベマキ(「ひょうごの巨樹・巨木100選」によれば、幹周/4.74m、樹高/15m。樹齢/約400年)へ通じる広い道がある。あとで分かったがこの道から行った方が神社裏手に行ける。

さらに登ると民家が見えてきた。上山集落。右手にそれらしい森があり、付近の地図があり、板蓋神社とあったので、付近の登れる道を捜すがなさそうなので車を停めて小さな墓地の横道を歩くと神社の参道が左手に見えた。反対側に下の民家から参道があったが登り道で、こちらから上がったことが近道をしたようだ。長い石段は雨のあとですべりやすかった。

歴史・由緒等

『国司文書 但馬神社系譜伝』
第47代淡路廃帝天平宝宇5年(761)秋8月
養父大領・従八位上・坂合部伊志伎これを祀る。
大彦命は、人皇八代孝元天皇が穂積臣等の祖・内色許男(葦原色許男?)の妹・内色許売命を娶り生むところなり。

『国司文書 但馬故事記』は、
人皇四十七代淡路廃帝天平宝宇5年(761)秋8月 坂合部連伊志岐を、養父郡司とし、忍坂連美佐加を主政とし、吉井宿祢万佐喜をもって、主帳としました。坂合部連伊志岐は、その祖・大彦命を上山丘に祀り、坂蓋*1神社と申しまつる。

*1 坂蓋

延喜式神名帳の旧名は「イタフキ」なので、板蓋が正しいのだろう。長い月日のうちに、誤写で板蓋が坂益になったのか。板蓋の意味が地名なのか当初の祭神に由来するものかは不明だが、あえて縁起がいいように字を変えたのだろうか、面白い。

吾郷清彦『国司文書 但馬故事記』に、
本記では坂蓋神社とあるも、延喜式では板蓋神社としている。坂蓋(サカブキ)では意味をなさず、また日本書紀に板蓋新宮や板蓋宮とあることから、板蓋の方が正しいだろう。板蓋(イタブキ)とは、板(宮などでは檜皮葺)で葺いた屋根のこと。これまでの茅葺き屋根に対して、板蓋宮と称したのだ。

大山祇神(オオヤマツミノカミ)

神名の「ツ」は「の」、「ミ」は神霊の意なので、「オオヤマツミ」は「大いなる山の神」という意味となる。

神産みにおいて伊弉諾尊と伊弉冉尊との間に生まれた。古事記ではその後、草と野の神である鹿屋野比売神(野椎神)との間に以下の四対八神の神を生んでいる。
天之狭土神・国之狭土神
天之狭霧神・国之狭霧神
天之闇戸神・国之闇戸神
大戸惑子神・大戸惑女神

その後、イザナギがカグツチ(軻遇突智)を切り殺した時、カグツチの体から以下の山津見八神が生まれている。

正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)
淤縢山津見神(おどやまつみのかみ)
奥山津見神(おくやまつみのかみ)
闇山津見神(くらやまつみのかみ)
志藝山津見神(しぎやまつみのかみ)
羽山津見神(はやまつみのかみ)
原山津見神(はらやまつみのかみ)
戸山津見神(とやまつみのかみ)

以上から推察して、正鹿山津見神が正勝山祇命となったとも考えれる。

山祇族

日本列島の形成が一万年ほど前のこととして、その前後から原日本人が居住していたことが考えられる。この主体を縄文人とか「山祇族」と呼ぶとして、わが国では狩猟・漁労、焼畑農業をしていたものであろう。

(拙者考察)

境内・社叢

  
参道                        鳥居

  
本殿・左境内社

  
手水鉢                       墓石かと思ったが、御祭神が刻まれていた

地名・地誌

養父郡三方郷

『国司文書 但馬郷名記抄』
馬方郷 今は三方郷と書す
軍事操練の地なり。

男坂村・坂蓋村・中村・懐馬(ナツメ・今の夏梅)・新津

地 図

兵庫県養父市大屋町上山字サカ6-1

交通アクセス

県道6号線大屋口から東へ上山1.6km。

周辺情報

神の宿り木として大切にされる大アベマキ

口大屋小学校の南東約1.5kmの山腹に自生する大アベマキは、「神の宿り木」として地元の人に大切にされてきました。昔から大屋の山々は鉱山として重要な位置にあり、徳川時代、上山区は生野藩、中村区は出石藩であって、いつもこのアベマキ付近で領地争いが起こったようで、境界の木としてのアベマキにまつわる伝承もたくさんあります。
樹高17m、幹まわり4.5m。樹齢は約400年と推定される、全国的にもまれな巨木です。
地元ではこの木をクヌギと呼んでいますが、正しくはアベマキ。クヌギに似た落葉高木で、温帯を指標する木です。クヌギに比べて樹皮が厚く灰黄色で、縦に深く裂け、コルク層がよく発達し、この皮がコルクに利用されることから、コルククヌギの異名をもっています。「但馬の百科事典」

参 考

但馬の神社と歴史三部作

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