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社 号 式内社 但馬国二方郡 二方神社(古社地)
読み:古 フタカタ
所在地 兵庫県美方郡新温泉町指杭字仲瀬20-2
旧地名 但馬国二方郡二方郷
御祭神
『国司文書 但馬故事記』
二方国造 美尼布命(みねふのみこと)
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
二方郡(ふたかた):5座(並小)
近代社格制度 旧村社
創建
岸田川と久斗川が合流する地点から東へ約500mの田圃の仲に小さな杜があるらしい。すぐ西に古墳のような細長い小丘がありそこかと思ったが、付近の人に尋ねると、過去に何度も川の氾濫で流されて社殿は再建されなくなったらしい。 指杭(さしくい)集落の奥にある神社かと思ったが兵主神社だった。しかしあとで分かったことだが、下記のようにあながち二方神社と兵主神社は関係なくもなかったようだ。
『国司文書 但馬神社系譜伝』に、
祭神 二方国造 美尼布命
人皇十五代神功皇后の八年夏六月、二方国造二方開昨彦(あきぐひ)命これを祀る。
美尼布命は、素戔嗚尊(スサノオ)が、子の大年命・蒼稲魂尊(ウカノミタマ)に勅して、布多県(ふたあがた)国を開いてから、初代二方国造の穂清田大彦命から8代孫に当たる。人皇十三代成務天皇五年秋八月、
出雲国造の同祖、美尼布命を以って二方国造と為す。
美尼布命は、田井宮に在りて国を治む。
『国司文書 但馬故事記』の中で、
二方国に軍団があらわれるのは、人皇三十七代孝徳天皇二年五月、二方国造真弓射早彦命に勅して、当国の甲冑および弓矢を閑広の処に収め、兵庫を作り、軍団を設けしめ給う。
(中略)
兵主神を祀り、軍団の守護神と為す。これを射所兵主神社と謂う。(註:美方郡新温泉町上岡 八幡神社摂社兵主神社?)
またその祖武田道根命を兵頭丘に祀り、面沼神社と称え祀る。(註:美方郡新温泉町竹田 式内面沼神社)
少穀 大家首(おびと)高志は、その祖天道根命の孫、彦真倭命を大庭丘に祀り、大家神社と申し祀る。(註:美方郡新温泉町二日市 式内大家神社)
校尉、須賀美津男は、その祖、須賀狭津男命を波多丘に祀り、須賀神社と申し祀る。時は大化三年(647)秋七月也。(註:美方郡新温泉町宮脇 式内須賀神社)
人皇四十代天武天皇白凰十二年閏四月、
文武官に教えて、軍事を努め習わしめ、兵馬器械を具え、馬有る者を以て騎兵と為し、馬無き者を以て歩卒と為し、時を以て検閲す。牧馬場を当国の刀岐波邑に設け、刀岐波兵主神を祀り、兵馬の生育を祈らしむ。
人皇四十二代文武天皇庚子四年春三月、
二方国を廃し、但馬国に合せ、二方郡と為す。従七位榛原公照来(はりはらのきみてらぎ)を以て二方郡司と為し、郡家を端山郷に置く。(註:美方郡新温泉町桐岡・照来)
大宝元年秋九月、
榛原公照来は、その祖大山守命を春木山に祀り、春来神社と申し祀る。(註:美方郡温泉町春来 式内春木神社)
(中略)
人皇五十二代嵯峨天皇弘仁元年夏五月、
大いに軍事を奨め、健児(けご)を増す。これに於いてか、また兵主神を祀り、これを指杭兵主神社と謂う。
岸田川と久斗川が合流する地点から東へ約500mの田圃の仲に小さな杜
(雨が降って水滴が写っている)
二方(国)
二方国とは、(古くは「ふたあがた」と読み布多県と書いた。)二方国が国としては小さいながら、因幡・但馬とは独立した国であったのかを考えると、その地理的要因が大きい。因幡国と但馬国の中間にあり、中央や周囲と疎遠で独自の文化を残していたからと考えられる。
『国司文書別記 但馬郷名記抄』をみても、他の但馬国の朝来・養父・気多・出石・城崎・美含、七美の七郡は、天火明命が丹波から但馬へ入り国を開き、多遅麻(但馬)と名づくことから話が始まるのは共通している。しかし、二方郡だけは当初別々の国であり、出雲国から素盞鳴尊が子の大歳命(大年命)と稲倉魂命に勅し、井久比宮(今の居組)に坐し、布多県国を開くところから始まる。
二方国は、人皇42代文武天皇の庚子四年(701)に廃し、但馬国に合せられ二方郡となるまで、約1300年間、二方国造16代、同国司1代、計17代続く。
ちなみに美方郡は、明治29年(1896年)4月1日、郡制施行のため、七美(しつみ)郡・二方(ふたかた)郡の区域をもって七美の美・二方の方より一字ずつを用い美方郡として発足したものである。西は鳥取県岩美郡岩美町、東隣りは美方郡香美町。現在の兵庫県美方郡新温泉町は、鳥取県と兵庫県の西の県境に位置する旧美方郡浜坂町と温泉町で、平成17年(2005年)10月1日に日本海に面する漁港で知られる浜坂町と夢千代日記の舞台となった湯村温泉で有名な温泉町が合併して発足した。その町域は、但馬国に併合される以前の二方(ふたかた)国(郡)に当たる。