概 要

社 号 佐伎都比古阿流知命神社
読み :古 サキツヒコ-、現 さきつひこあるちのみこと
式内社 但馬国養父郡 佐伎都比古阿流知命神社(論社)
江戸時代は「山王神社」「山王権現」「十六柱神社」と称していた

『但馬神社系譜伝』 佐伎津彦阿流知命神社
『但馬郷名記抄』 前津耳神社。また前津彦神社ともいう。
所在地 兵庫県朝来市和田山町寺内435
旧地名 但馬国養父郡糸井郷
御祭神 佐伎都比古命さきつひこのみこと  阿流知命あるちのみこと 大国主命(おおくにぬしのみこと)
『国司文書 但馬神社系譜伝』 佐伎津彦命・阿流知命
例祭日 7月15日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
養父郡[ヤフ]:30座大3小27

近代社格制度 旧村社

創建     年代不詳(『国司文書 但馬神社系譜伝』人皇四代懿徳(いとく)天皇の二十年夏四月)
本殿様式   一間社流造り 唐破風

境内摂社(祭神)

若宮神社・荒神神社・稲荷神社

文化財

「寺内ざんざか踊り」 兵庫県と和田山町指定の民俗無形文化財

一口メモ

参道を登り切ると広場がある。(車で別の道から横まで行った)
長い参道を登るとさらに参道の石段の上に社が建っています。鳥居の位置が分からなかったので車で境内に行く。

出石に向かう旧道のひとつであり、南西口となる。かつてこの地は養父郡糸井村と呼ばれ、出石以外で唯一ヒボコ伝承が残る。長い名前の神社で、なかなか覚えられないが、延喜式には「佐伎都比古阿流知命神社二座」と書かれており 当時は、二柱の祭神を祀っていたようだ。山王権現ともいわれている。また前津耳神社ともまた前津彦神社ともいう。

歴史・由緒等

主祭神は、社号の通り、佐伎都比古阿流知命。

由 緒

創祀年代や由緒は不詳。

延喜式(平安時代中期)には「佐伎都比古阿流知命神社二座」と書かれており当時は、二柱の祭神を祀っていた。

-「兵庫県神社庁」-

創祀年代がわからないが御本殿は歴史が古そうで覆屋に納められている。

この前津耳が、佐伎都比古命であり佐伎都比古阿流知命は、その妻であるという。
一説には、佐伎都比古命は前津耳の祖であり、佐伎都比古阿流知命は、佐伎都比古命の御子であるという。 いずれにしろ、延喜当時の祭神は、佐伎都比古阿流知命と佐伎都比古命の二柱だったのだろう。

ただし、『神祇全書』では、彦主人命と振姫命の二柱と記されている。 また、『古事記』では前津耳は多遅摩の俣尾の娘で、 天日槍の妻であると書かれており、前津耳命の祖神。 女性だと考えられている。
『日本書記』垂仁天皇八十八年紀に以下の一文がある。これによって天日槍ゆかりの地と解釈されているようだ。

昔、一人の人が船に乗って但馬国にやって来た。 どこの国の人か、とたずねると 「新羅の国の王子、名を天日槍という」と答えた。 その後、但馬国に留まり、但馬国の前津耳の娘・多遅摩前津見を娶り 但馬諸助(多遲摩母呂須玖神)を産んだ。」

ところが、当社は『国司文書 但馬故事記』(第三巻・養父郡故事記)によれば、佐伎都比古阿流知命神社は、養父郡大江村(今の養父市八鹿町坂本・大江)に鎮座した。

『国司文書 但馬故事記』(第三巻・養父郡故事記)に、

人皇一代神武天皇の八年夏6月、佐久津彦命の子・佐伎都彦命を以て、(初代)屋岡県主(やおかのあがたぬし)と為す。(屋岡県は、のち夜夫郡、今の養父市、屋岡は今の八鹿)

人皇二代綏靖(すいぜい)天皇の15年夏6月、
佐伎津彦命の子・阿流知命を以て、屋岡県主と為す。

人皇四代懿徳(いとく)天皇の二十年夏四月、
阿流知命の子・大照彦命を以て、屋岡県主と為す。
(中略)
大照彦命は、佐伎津彦命・阿流知命を花岡山に祀る。(養父市八鹿町坂本か?)

『但馬神社系譜伝』に、

佐伎津比古阿流知命神社 養父郡坂本花岡山鎮座
人皇四代懿徳(いとく)天皇の二十年夏四月、屋岡県主大照彦命これを祀る。
佐伎津彦命は、佐久津彦命が佐々宇良(楽々前)姫命を娶り、生むところとなり。
阿流知命は、佐伎津彦命が真名井の天物部命の娘・佐伎津姫命を娶り、生むところとなり。
(以上)

これは祀られた時代からみるに、『延喜式神名帳』(927)養父郡にある式内 佐伎都比古阿流知命神社が、『国司文書 但馬神社系譜伝』編纂(973)の頃までは少なくとも浅間郷坂本花岡山と記されている。

(養父郡浅間郷坂本花岡山の麓、岩崎へ通じる大江との三叉路に式内 保奈麻神社論社のひとつ花岡神社が、大江には春日神社がある)それから数百年経ち、佐伎都比古阿流知命神社がなぜ現在地に遷座されたのではなかろうかという疑問が生まれる。

『国司文書 但馬故事記』では、屋岡県(養父郡)が始まった最初は、「人皇二代綏靖(すいぜい)天皇の15年夏6月、
佐伎津彦命の子・阿流知命を以て、屋岡県主と為す。(中略)大照彦命は、佐伎津彦命・阿流知命を花岡山に祀る。」(養父市八鹿町坂本で浅間郷である。『国司文書 養父郡神名帳』には、糸井郷の式内社では、更杵村兵主神社、桐原神社、楯縫神社(のち建屋)の三社が記載されているが、この佐伎都比古阿流知命神社は糸井郷には記載されず、浅間郷に記載されている。また天日槍やその子孫については、養父郡をはじめ出石郡故事記を除けば他の七郡の故事記には一切には出てこないのだ。

養父郡で浅間郷は式内社が、浅間神社、葛神社、保奈麻神社、佐伎都比古阿流知命神社、伊久刀神社、兵主神社の五社、和田山町になっているがかつては同じ養父郡であったとしても、移転の記録はなく、どうして当社が佐伎都比古阿流知命神社と呼ばれるようになったかは、まったく不明である。

『国司文書別記  但馬郷名記抄』には、更杵村(今の寺内)は、前津耳命の裔、佐良公在住の地なり。この故に佐良公村という。のち更杵村と改む。また弖良公あり。この故にまた弖良公村という。のち改めて寺内村という。前津耳神社あり。また前津彦神社ともいう。真志訶*1謹んで按ずるに佐伎津比古阿流知命神社に非ず。(つまり当社が前津耳神社であり佐伎都比古阿流知命神社ではないと平安時代から否定され記されていることになる。

推察すると養父軍団の兵庫を浅間郷から当地糸井郷に移した際に、更杵村兵主神社社、楯縫神社などともに、佐伎都比古阿流知命神社を浅間郷(八鹿町坂本)から糸井郷(当時は養父郡)へ移転もしくは勧請したのではないだろうか?。あるいは浅間郷の軍団に関わった

*1真志訶 国司文書編纂者の一人 国学さかん 陽候史 真志訶

また同出石郡故事記・養父郡故事記には、いっさい糸井郷の同社は登場しない。養父軍団と兵庫が糸井郷に設けられた。兵主神社や楯縫神社・矢作神社・葦田神社というお決まりの神社が設けられた。糸井郷は重要な場所となった。

したがって、糸井郷と当社を天日槍ゆかりの神社だとするのは、男の神である阿流知命を『古事記』では新羅王の子である天之日矛(あめのひぼこ)の妻となっている阿加流比売神(アカルヒメ)と混同した後世の伝聞や、桜井勉『校補但馬考』の勝手な解釈にすぎないが、いずれにしろ、佐伎都比古阿流知命神社は、養父郡で最古の神社であることに変わりはないので、何かの縁で分祀もしくは廃絶した社を勧請され、継承されていることは価値のあることであるし、社名・祭神・社地がどうであろうと神道と神社とは、太古から日本人のルーツであり、叡智のランドマークなのだと思う。地区のコミュニケーションとして神社こそ新ためて古くて新しい先人の残してくれた偉大なるレガシーそのものだからだ。

佐伎津彦阿流知命神社論社

花岡神社 兵庫県養父市八鹿町坂本字宮ノ下650-1
春日神社 兵庫県養父市八鹿町大江542-1
もうひとつの論社に岩崎神社(兵庫県養父市八鹿町岩崎)があげられている。

境内・社叢

  
社号標                       鳥居

  
境内                        本殿

  
境内社

  
祭踊り記念碑

「寺内ざんざか踊り」

天下泰平・五穀豊穣・子孫繁栄を願って、毎年7月の第3日曜日に寺内の佐伎都比古阿流知命神社(山王神社)で奉納される太鼓踊りの神楽です。「ザンザカザットウ」の唄に合わせて太鼓を打ち鳴らすことから、雨乞い神事ともされています。
踊りは、山王権現の遣いである猿にふんした10人の踊り手が、輪を作って太鼓を打ち鳴らしながら踊る「側踊り」、輪の中で踊り全般の指揮をとる2人の「新発意(しんぼし)」、輪の中央で太陽と月に見立てて飾り付けられた高さ4mの「しない」を背負い、それをぶつけあい、からめあいながら踊る2人の「中踊り」で構成されます。
江戸時代の元和年間(1615~1624)から約400年間にわたり、欠かすことなく踊り継がれてきたと伝えられ、むかしから寺内区に伝えられてきたざんざか踊りは、山王神社(佐伎都比古阿流知命神社)と光福寺に奉納される太鼓踊り(タイコ・オドり)があります。毎年7月15日に行われてきましたが今では7月第3日曜日に奉納されます。兵庫県と和田山町指定の民俗無形文化財。
韓国の民族舞踊農楽に通じているのだろうか?

地名・地誌

寺内

弖良公あり。この故に弖良公村ともいう。のち改めて寺内村という。
『国司文書 但馬郷名記抄』

地 図

兵庫県朝来市和田山町寺内435

交通アクセス

山陰本線「養父駅」より東へ約4km

周辺情報

参 考

『延喜式の調査』さん、他

但馬の神社と歴史三部作

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