概 要

社号 式内社 因幡国巨濃郡 佐弥乃兵主神社
読み: 古 サミノヒャウズ 現 さみのひょうす
所在地 鳥取県岩美郡岩美町大字河崎字佐弥屋敷211
旧地名 因幡国巨濃郡

御祭神 天照大神
例祭日 4月13日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
因幡国:50座 大1 小49
巨濃郡[コノ] 9座並小

近代社格制度 旧村社
創建     年代不詳
本殿様式

境内摂社(祭神)

一口メモ

国道9号線の小田入口交差点を左折(南西)し橋の手前の堤防沿いの道縁に南を向いて鎮座。

歴史・由緒等

【由緒】天仁2年(1109)3月鳥羽新帝宸望奉神貢神霊
昭和3年11月10日神饌幣帛料供進神社指定

兵主神社でも式内社は但馬の旧豊岡市・旧出石郡、旧気多郡(日高町)、朝来市に特に多く、因幡(鳥取県東部)の岩美町に特に多い。式外社の兵主神社はいたるところにある。但馬に接する岩美町には、式内社兵主神社は、佐弥乃兵主神社のほかに許野乃(この)兵主神社(岩美町浦富)がある。兵主神社の御祭神は、兵主は本来、「つわものぬし」と解釈され、八千矛神(ヤチホコノカミ=大国主神)を主祭神の神としてオオナムチ(大己貴命)やスサノオ(素戔嗚尊・速須佐之男命)だが、ここは天照大神のみを御祭神とされている。境内社があるが大国主系か稲荷社かは不明。

許野(この)乃兵主神社(岩美町浦富)の許野は、古くはコヤノと読まれていたが「こののひょうずじんじゃ」と変化しているが、岩美郡がかつて巨濃(この)郡だったことから地名の意味だとわかる。許野乃兵主神社と佐弥乃兵主神社は直線距離でわずか約1.2kmの近い場所だ。式内社は郡内に数カ所であり、しかも同じ郷には1社のみである。同じ式内社同士でしかも同じ兵主神社がこのように近い郡内の位置にある例はないと思う。そうすると佐弥屋敷は巨濃郡でななかったのだろうか。

では「さみ」とは何か?人名なのか地名なのか。また付近のどこにあったのだろう。佐弥屋敷という字は遷座する前の神社の場所のようである。

 

『国司文書 但馬故事記』に、「第45代聖武天皇の天平期 但馬国の大毅(軍団の最高職)正八位上・忍海部オシヌミベの広足を因幡に遣わし、従七位下・川人部の広井を但馬大毅とする。」

日本海側の兵主神社は但馬以外では同じ岩美町に当社佐弥乃兵主神社と許野乃兵主神社2社のみであることから、但馬に隣接する岩美も、日本海側の警護が重要になったのではないだろうか。

境内・社叢

  
鳥居                  鳥居扁額


境内

  
拝殿・本殿                 本殿


境内社

地名・地誌

地 図

鳥取県岩美郡岩美町河崎211

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式神社の調査」さん、他

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