式内 加賀神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社号 式内社 出雲国島根郡 加賀神社
読み:古 カカ、現在 かが
出雲風土記「加賀社」
江戸時代は「潜戸大明神」と称していた
所在地 松江市島根町加賀1490
旧地名 出雲国島根郡加賀郷(島根郡加賀村)
御祭神
支佐加比売命(きさかひめ のみこと=枳佐加比比賣命)*
配 猿田彦命、伊弉諾尊、伊弉冉尊、天照大神

*『出雲国風土記』では支(枳)佐加比売命(きさかひめのみこと)、『古事記』では??貝比売(きさがひひめ)。『古事記』では神産巣日之命(神魂命・かみむすびのみこと)と関係を持ち、前者では神産巣日之命に派遣されて大国主神の治療に従事、『出雲国風土記』では神魂命の御子神であると記されている。
例祭日 10月21日 「乙九日(おとくんち)祭」

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国 187座(大2座・小185座)
島根郡(シマネ):14座(並小)

『出雲国風土記』「加賀社」

近代社格制度 旧郷社

創建     年代不詳
本殿様式   神明造 萱葺

境内摂末社(祭神)

東末神社・日御碕神社・西末神社・恵比須神社・熊野神社

文化財

「加賀の潜戸」(かかのくけど)国名勝天然記念物 (神社の北4.7 km、26 分)

一口メモ


旧島根郡島根町。加賀神社の真ん前に松江市島根支所(旧島根町役場)がある。「島根県」の県名は、県庁の置かれた松江城周辺が旧島根郡(島根郡)に属していたことによるが、島(嶋)根の名は『出雲国風土記』での八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと)の命名によると伝えられる。
「嶋根と号くる所以は、国引きましし八束水臣津野命の詔りたまひて、
名を負せ給ひき。故、嶋根といふ。」

歴史・由緒等

 

伊勢神宮の様に20年おきに式年遷宮が行われ、正遷座祭の際に曳船行事が行われる。出雲大社を代表する「大社造」が大半の出雲の神社でありながら、伊勢神宮と同じ神明造りの神社は珍しい。加賀神社は20ごとに遷宮をするという。そこに神明造の理由があるのかもしれない。

本来は加賀潜戸を祀る。出雲国風土記の「加賀社」に相当する。
旧社地は加賀の潜戸と称さる、国の名勝天然記念物に指定されている神窟内に鎮座。
いつの時代か未詳であるが、神窟内に鎮座していた加賀の社を南東二十町余の現在地に移したという。
出雲国風土記によると
『ここに窟がある。いわゆる佐太の大神のお産まれになった場所である。お産まれになるそのときになると、弓箭が亡くなった。その時枳佐加比売命が祈願して、「私の御子が麻須良神の御子であるなら、亡くなった弓箭よ出て来い」と祈願された。その時、角の弓箭が流れ出た。その時お生まれになった御子は詔して、「これは私の弓ではない」と投げ棄てた。また金の弓箭が流れ出てきた。 これを持ち取って、「なんと暗い窟であろうか」と仰せられ、岩壁を突き破って射通しなされた。
-「延喜式神社の調査」さん-

境内・社叢

  
鳥居                       手水舎


随神門

   
狛犬 お座り型の一般的な狛犬

  
狛犬 「出雲型(かまえ型)と」か「出雲構え獅子」といわれ、獅子が今にも飛びかかってきそうな構え。

  
拝殿                        本殿 神明造となっているが屋根にカーブがある

  
拝殿扁額 は「潜門祠」「潜戸太神宮」

  
本殿左上段境内社                   本殿右手 境内社


本殿右上段境内社

地名・地誌

加賀(かか)

古くは加加と書いた。加賀を地元の人は今もカカと呼ぶ。それは風土記以来の伝統をつぐもので、他所者が「かが」と発音すると機嫌が悪くなるそうだw

『出雲国風土記』加賀(かか)の潜戸(くけど)

佐太大神の生まれた加賀郷の名の起りを説いたもので、御祖のカミムスビの子のキサカヒメが「くらき岩屋なるかも」といって金の弓で射たとき、光かがやいたから、加加というとある。

旧島根郡島根町。加賀神社の真ん前に松江市島根支所(旧島根町役場)がある。「島根県」の県名は、県庁の置かれた松江城周辺が旧島根郡(島根郡)に属していたことによるが、島(嶋)根の名は『出雲国風土記』での八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと)の命名によると伝えられる。
「嶋根と号くる所以は、国引きましし八束水臣津野命の詔りたまひて、
名を負せ給ひき。故、嶋根といふ。」

地 図

周辺情報

加賀の潜戸

国の名勝及び天然記念物に「潜戸」の名称で指定されており(1927年)、また大山隠岐国立公園に属する。
日本神話とも関係が深く、佐太大神(佐太神社の祭神)の出生地といわれる。
潜戸とは洞窟のことであり、安山岩、凝灰岩の岩盤が地殻変動に伴って断層や亀裂を発生させ、その割れ目に沿って日本海の荒波や強風が岩盤を長い歳月をかけて浸食していったことによって形成されたものである。海寄りの新潜戸と陸寄りの旧潜戸があり、自然的な特徴だけでなく、文化的価値観も全く異なるのが特徴である。

参 考

「延喜式神社の調査」さん、他


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