現社号 垣田神社
読み:かきた
江戸時代は「垣田住吉大明神」
延喜式神名帳 式内社 播磨国賀茂郡 垣田神社
読み:
所在地 兵庫県小野市小田町1649
旧地名 播磨国賀茂郡
御祭神
主祭神 底筒男命(そこつつのお のみこと)
配祀神 中筒男命(なかつ-) 表筒男命(うわつ-) 神功皇后
例祭日 10月9日
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陽道 式内社140座 大16(うち預月次新嘗4)・小124
播磨国(ハリマ) 式内社50座(大7座・小43座)
賀茂郡(カモ) 8座(並小)
近代社格制度 旧県社
創建 大同2年(807)神ノ木の旧社地より現在地に移転
本殿様式 流造 檜皮葺
表津神社・中津神社・底津神社・宗像神社・八幡神社・大地神社・八坂神社
小野市街の東、下東条小学校のすぐ裏手。
由 緒
往昔、小野市小田町字神ノ木、つまり小田を貫流する東条川の川北の山の中腹の高台地に祭られた。今、垣田神社の元宮といわれている稲荷社のあるところ附近で、神ノ木という地名が神聖な場所であったことをあらわす。
平城天皇の大同2年(807)、今の地に遷座。
当社の神宮寺だといわれている西の小田町字坂口の西福寺(現在廃寺)や東の松沢町字大深谷の東福寺の建立は、平安時代末期の頃であろう。
昌泰2年(899)に、勅使藤原公方を御差遣になり奉幣の儀がおこなわれ、その時、垣田大神の勅号を贈られたといわれている。
播磨国の名社として延喜式の神名帳に記載され、勅使参向の官社に加列されたのもこの頃である。
明治6年(1873)郷社に列せられる。
大正12年(1923)、県社に昇格。-「兵庫県神社庁」-
社叢
鳥居 社号標
社頭狛犬
正面手水舎 西手水舎
拝殿 能舞台
拝殿前狛犬
拝殿 本殿
境内社 春日・下川、八坂・金毘羅、秋葉・恵美須 厳島神社
本殿奥境内社 底津神社 中津神社
表津神社
小野市は日本一のそろばん生産地として有名で、また東隣の三木市と共に金物で知られる。加古川東部に位置し地域的には東播磨(東播)、或いは北播磨(北播)。兵庫県の県庁所在地の神戸市や播磨地方の中心都市姫路市へ比較的近く、直進距離で神戸は30km、姫路は25km程であり主に両市のベッドタウンとしての機能を持っている。
「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他