社 号 式内 大田神社
式内社 山城国愛宕郡 大田神社
賀茂別雷神社(上賀茂神社)境外摂社(第三摂社)
読み: 古 オホタ、現 おおた
所在地 京都市北区上賀茂本山340
旧地名 山城国愛宕郡
御祭神 天鈿女命(あめのうずめのみこと)
例祭日
御内儀祈願祭 (ごないぎきがんさい、1月10日・5月10日・9月10日)
例祭
4月10日 春の例祭 里神楽(ちゃんぽん神楽)が奉納
11月10日 秋の例祭 神楽や火焚祭
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
愛宕郡(オタキ) 21座(大8座・小13座)
創建 不詳
本殿様式 一間社流造檜皮葺
大田神社が賀茂別雷神社の境外摂社なので賀茂別雷神社の境外末社となる
賀茂別雷神社(上賀茂神社)には、境内・境外あわせて16社の末社がある。
大田神社境内
白鬚社 祭神:猿田彦命(さるたひこのみこと)
百大夫社 祭神:船玉神(ふなたまのかみ)
鎮守社 祭神:大国主神(おおくにぬしのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)
大田神社鳥居前
境外末社 福徳社 祭神:福徳神
カキツバタ 国指定天然記念物
上賀茂神社のある御薗橋東詰を、深泥池の鞍馬街道(府道40号線)へ抜ける旧道で、上賀茂神社社家が連なり、道の脇に小川が流れ佇まいが残るいい場所だ。拙者は京都産業大学に在籍したことがあり、上賀茂神社前は大学行きのバス発着場所となっており、だいぶ時が流れているのに変わらないこの界隈は特別懐かしかった。
大田神社は上賀茂神社の摂社ですが、起源は上賀茂神社よりも古く上賀茂では最古の神社と言われています。本殿に天鈿女命(あめのうずめのみこと)、白鬚社に猿田彦命(さるたひこのみこと)をそれぞれ祀る。『延喜式神名帳』に「太田神社」と記載される古社で(式内社)、賀茂県主(かものあがたぬし)の崇敬を受けた。
平安時代の保安元年には鳥羽天皇が大田神社に来宮され、それ以来天皇家や貴族の信仰を厚く受けられています。
大田神社は4月10日と11月10日に例祭が行われます。また、1月5月9月のそれぞれ10日に御内儀祈願祭が行われ、国家・皇室の繁栄、天皇・皇后両陛下の御身体の御安泰を祈念されます。
古くは恩多社(おんたしゃ)とも言われた。上賀茂神社(賀茂別雷神社)の摂社で、上賀茂を開墾して栄えた賀茂氏によって崇敬されました。古代、上賀茂神社や太田神社がある上賀茂の地は沼地で、賀茂氏によって開墾されたと言われています。大田神社の東側には今も約2千平方m2の沼沢地が残り「大田の沢」と呼ばれています。この沢には古代より野生のかきつばたが美しく群生したと言われ、平安時代の和歌の大家で『千載和歌集』の編者として知られる藤原俊成(ふじわら の としなり)も大田神社のかきつばたを歌に詠んでいます。大田の沢に群生する「かきつばた」が有名です。
社頭 手水
拝殿 本殿
参道左境内社 白鬚社
百大夫社 鎮守社
福徳社 道を挟んだ参道入口角
大田ノ沢のカキツバタ群落
国指定天然記念物
平安時代からの名所とされ、尾形光琳の『燕子花(かきつばた)図』のモチーフになったとの言い伝えがある。
1190年(文治6年)に、 『千載和歌集』の編者で著名な藤原俊成(ふじわらのとしなり)が、紫一色に染まる様子を一図な恋心に例えて詠んでいる。
神山(こうやま)や 大田の沢の かきつばた ふかきたのみは 色にみゆらむ