式内 御湯神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社号 式内社 因幡国巨濃郡 御湯神社
読み:古 ミユ、現 みゆ
江戸時代は「伊勢宮」
所在地 鳥取県岩美郡岩美町大字岩井字宮谷141
旧地名 因幡国巨濃郡
御祭神 御井神 大己貴命(オオナムチ) 八上姫命(ヤカミヒメ) 猿田彦命(サルタヒコ)
例祭日 4月25日近い土曜日・日曜日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』式内社
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
因幡国:50座 大1 小49
巨濃郡[コノ]:9座 並小

近代社格制度 旧郷社
創建     弘仁2年(811)
本殿様式

境内摂社(祭神)

一口メモ

国道9号線一の標高である中国山地の山岳地帯である兵庫県と鳥取県境の長い蒲生トンネルを抜けると、鳥取県岩美郡岩美町蒲生に入る。少し行くと岩井温泉という看板が見えてくる。兵庫県新温泉町湯村温泉や北には七釜温泉など温泉が集中している。日本一の高温が湧き出る湯村温泉は有名だが、他は湯治で訪れる小さな湯治場である。

その岩井温泉の蒲生川をはさんで北に、式内社御湯(みゆ)神社がある。何度も前の国道は往来しているが、岩美郡(旧巨濃郡)の式内社はこの御湯神社と大谷の日野神社のみとなった。どちらも9号線沿いであるが最後となった。

参道は、国道9号線からまっすぐ北に伸びて旧岩井小学校跡地の奥にある。国道脇にいつも見かけた大きな石柱の目印がないと思ったら補修中なのか理由が分からないがブルーシートがかぶせてあった。右手には岩井廃寺跡の石碑があり、校舎がまだある。偶然にもここは山陰道の鳥取県最東北部にある式内社が旧岩井小学校に隣接しており、兵庫県最西北にある式内社、新温泉町居組の大歳神社も旧居組小学校に隣接しているのを思い出した。

歴史・由緒等

参道入口の案内文には

式内社 御湯神社
鎮座地:岩美町岩井字宮谷
御神紋:丸に左三つ巴
例祭日:四月二十五日
秋祭り:十月十三日
式内社は延喜式神名帳に記載された神社で、当御湯神社は遠く古代からこの地域(巨濃郡大野郷)の中心として鎮座した由緒ある神社とされている。

創 建 平安初期の弘仁二年(811年)と推定される。

御祭神 御井神(みいのかみ)  大国主命の御子
大己貴命(おおなむちのみこと) 大国主命の別名
八上姫命(やがみひめのみこと) 御井神の母君
猿田彦命 天孫光臨の先導役の神

湯の町岩井の守護神である御井神は「みい」が転訛して「みゆ」となり、御湯の文字をあてて御湯神社となったといわれている。

大国主命が八上姫を妻に娶った神話が残される因幡には、岩美郡、八頭郡など八上姫命を祀る神社が多い。

大国主と出雲神話因幡の白兎

須佐之男命を祖神とする大国主命の兄弟神たちは、八上比売に求婚するため因幡の国に向かいました。

このとき、大国主命は荷物が入った袋を背負わされ、一緒に出かけました。
気多の岬にやってきたとき、ワニをだまし、ワニの背中を踏んで海を渡ろうとして、ワニに丸裸にされた兎がいました。

兄弟神たちは兎に「潮水を浴びて風にあたって寝ておれ」と教えました。兎は教えられたとおりにすると、皮膚が風に吹かれひび割れして、いたみ苦しんでいました。
最後にやってきた大国主命は「真水で身体を洗って蒲の花粉をまきちらし、その上に寝ておれ」と教えました。教えのとおりにすると兎の身体は元どおりになりました。
兎は大国主命に「八上比売はあなたと結婚されるでしょう」と言いました。
兎の予言どおり八上比売は「大国主命と結婚します」と言いました。

編集/(社)松江観光協会玉造温泉支部 監修/NPO法人 出雲学研究所

境内・社叢


由緒案内板

  
鳥居                       割拝殿

  
拝殿                       拝殿扁額


何か不明

   
左右境内社

地名・地誌

地 図

交通アクセス・周辺情報

参 考

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