社 号 式内社 但馬国気多郡 思往神社
読 み 古 オモヒヤリ、現 おもいやり
江戸時代は「赤藤大明神」
所在地 兵庫県豊岡市日高町中字大道ノ下326
旧地名 気多郡狭沼郷大炊山代村(のち八代中村)
御祭神 思兼命(おもいかねのみこと)
大炊山代神社 祭神
例祭日 10月10日 例祭
『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
気多郡(ケタ):21座(大4座・小17座)
『気多郡神社神名帳』記載三二社のひとつ
近代社格制度 旧村社
創建 人皇47代孝謙天皇の天平勝宝元年(749)
本殿様式
境内社(祭神) 若宮神社
国道312号線の日高バイパスを日高町土居西交差点から真すぐ北進するバイパスが、平成23年春には八代山本まで完成した。同時に狭かった県道1号線藤井付近の但馬空港へつながる県道との交差点改良工事も完成し、これで八代の最西部まで2車線道路が完成した(一部は1車線)。 やがて八代小学校のそばにこんもりとした神社の杜が見えてくる。同神社はその旧道とバイパスが分かれる場所に境内がある。
古くは、赤藤大明神と称していた。
文化14年(1807)、本殿を再建。明治3年(1870)、社名を思往神社と改称。明治6年(1873)、村社に列される。
「兵庫県神社庁」
人皇47代孝謙天皇の天平勝宝元年(749)六月、大炊山代直都賀麿を以って、但馬介*1と為す。
大炊山代直都賀麿は、八代邑を開き墾田と為す。 これに依って五年九月、その祖天砺目命を八代の丘に祀り、これを大炊山代神社という。また八代神社という。土人(くにびと)訛りて、思往(おもいやり)神社はこの転訛なり。
『国司文書 但馬神社系譜伝・但馬故事記』
*1 国司のひとつ。地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏で、四等官である守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)等を指す。ここでは但馬国府に当たる。
社叢
鳥居・神門 本殿覆屋
覆屋
中(なか)
『国司文書 但馬郷名記抄』(平安後期 天延3・975)
狭沼(サノ)郷
『太田文』 (鎌倉後期 弘安8・1285) 狭沼郷
今は佐野と書く。弘安の頃、八代谷を分けて別に一庄とする。『校補但馬考』
佐野・
右佐野庄と云う
藤井・奈佐路・谷・八代・猪爪・奥八代・河江・
右八代谷と云う
※陶谷・国棺が奈佐路、大炊山代村が中、奥八代が今の八代となり、である。
『国司文書 但馬郷名記抄』には、すでに八代と書かれており古くから変更ない。
『国司文書 但馬故事記』第一巻・気多郡故事記に、
気多郡における
人皇25代仁賢天皇10年春2月、
黒田大連 の子、大鹿*2連 多遅麻国造 となる。
人皇26代武烈天皇3年夏6月、大鹿連は、その祖、天児屋根命・黒田大連命を大鹿山*3に祀る。(大岡神社)
5年夏5月、玉祖宿禰は、その祖、玉荒木命を伊爪丘に祀り、玉荒木神社と称えまつる。(式内 多摩良木神社:豊岡市日高町猪爪)
人皇32代崇峻天皇4年秋7月、多遅麻国造、登美連 *4吉雄命・武貫首 は、気多県主武貫彦命を狭沼邑に祀る。(式内 鷹貫神社 現祭神 鷹野姫命:豊岡市日高町竹貫)
(中略)
人皇40代天武天皇4年(669)2月、但馬国等の十二国に勅して曰 く、
「所部 の百姓 の能く歌う男女および侏儒 ・伎人 を撰みて貢上 れ」と。
(中略)
13年(684)10月、応神天皇の皇子・大山守命の裔、榛原公鹿我麿 をもって、但馬国司となし、位小錦上を教く。
榛原公鹿我麿は気多郡狭沼(いまの佐野)を開き、墾田を為す。
14年秋8月、その祖・大山守命を蜀椒 山に祀り、祭式を行う。(名神大 [木蜀]椒神社:豊岡市竹野町椒)
(中略)
人皇47代孝謙天皇天平勝宝元年(749)6月、大炊山代直都賀麿をもって但馬介 となす。大炊山代直都賀麿、八代邑を開き、墾田をなす。
これによって5年秋9月、その祖天砺目命を八代丘に祀り、大炊山代神社と称えまつる。土人*5訛りて恩往神社と云う。(式内 恩往神社:兵庫県豊岡市日高町中)
また、
人皇54代仁明天皇承和12年秋7月、
但馬国気多郡無位 戸ノ神・山ノ神・雷神・蜀椒神に従五位下を、
無位大岡神に正六位上を授けられる。これは国司の解状によるなり。
人皇56代清和天皇貞観10年冬12月27日、
但馬国従五位 戸ノ神・山ノ神・雷神・蜀椒神に従五位上を授け、
同年閏12月21日 但馬国正六位上大岡神に従五位下を教く。
これらによれば、今の八代は八代地区西部の最奥部となるが、大古は大炊山代邑が発展し、奥八代・猪爪・中村と分かれ、八代の名は最奥部のみに残ったので単に八代と言うようになったと考えられないか。
『国司文書 但馬郷名記抄』(平安後期・975)
但馬国気多郡狭沼(サノ)郷
狭沼(サノ)・鷹貫(タカヌキ)・葛井(フジイ)・陶谷(スダニ)・国棺(クノギ)・谷・大炊山代村(オオイヤマシロ)・八代(ヤシロ)・河合(カワイ)・椒(ハジカミ・三原・伊爪(猪爪・イノツメ)
『太田文』(鎌倉後期・弘安8・1285)
狭沼郷
今は佐野と書く。弘安の比、八代谷を分けて別に一庄とする。
佐野郷…佐野・上石(アゲシ)・竹貫
八代谷…藤井・奈佐路・谷・八代中村・猪爪・奥八代・河江・椒・三原
1889年(明治22年)4月1日 – 町村制施行により気多郡八代村が発足。 1955年(昭和30年)3月25日 – 日高町、国府村、八代村、三方村、西気村、清滝村が合併し、新しい日高町が発足。 2005年(平成17年)4月1日 – 豊岡市、出石町、但東町、城崎町、竹野町と合併して新たな豊岡市が発足。
「延喜式の調査」さん、他-