概 要

社 号 手谷神社
式内社 但馬国出石郡
読み: 古 テダニ 現 てだに
江戸時代は「宇賀大明神」「岡大明神」と称していた
所在地 兵庫県豊岡市但東町河本885
旧地名 但馬国出石郡高橋郷
御祭神 埴安神(ハニヤス) 倉稻魂命(ウカノミタマ) 大彦命(オオビコ) 『国司文書 但馬神社系譜伝』 大彦命

例祭日 10月10日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
出石郡(イツシ・いずし):23座(大9座・小14座)

近代社格制度 旧村社

創建     文武天皇4年(700)
本殿様式   流造

境内摂社(祭神)

一口メモ

国道426号線を出石川沿いに遡り、豊岡市の旧但東町に入ると合橋交差点。右折し福知山市夜久野町へ抜ける県道56号線に入る。出石はかつて但馬国の城下町だったので、但東町には山陰道や丹後、また京へ通ずる京街道と云える道が何本もあるが、この道は少なくとも大人になってから記憶はないので初めてだと思う。旧但東町は三つの村が合併して生まれた町で谷間に集落が深いところまである。但東町河本はかつては合橋村で、もっと昔は高橋郷とよばれていた。 地図に記載されておらずナビによると河本集落をさすから、河本集落をずいぶん捜したが分からず、土地の人に聞いて、西谷に分かれるはずれにあると聞いて、県道を天谷まで行ったが分からず、また後戻りしてそれらしい杜を発見。出石方面からはカーブになって見落としていたらしい。 参道を歩くと社域は奥が深くて神聖さが漂う。清潔で氏子のみなさんがよく手入れがされているのがわかる。

歴史・由緒等

由 緒 創始不詳ではあるが、文武天皇の御代(700年代)と云われている 当社は元の天谷村に垂跡されていた為、天谷神社と称されて天谷村、西谷村、河本村の三部落によって護持されていた。 ところが中古代に洪水に遭い、社殿が流されて止まったところに現在の社殿を造営したと記されている。そこで神社名は手谷と改称された。その意味するところは「手をつなぐ」というように推定される。 -「兵庫県神社庁」-

『国司文書 但馬神社系譜伝』

出石郡手谷村鎮座 人皇四十二代文部天皇の庚子四年秋十月、 出石郡大領 正八位下 高橋臣義成これを祀る。 人皇八代孝元天皇は、穂積臣等の祖 鬱色雄命の妹 鬱色売命を娶り、大彦命を生む。高橋臣の祖なり。

境内・社叢


社叢

  
社号標                      手水舎

  
鳥居                       拝殿

  
拝殿・本殿覆屋

  
左右の境内社

地名・地誌

高橋郷 『国司文書別記 郷名記抄』 高槁郷 高槁臣在住の地なり。この故に名づく。 手谷村・佐々貴村・大佐々貴・秦部村・藍機部・平機部・狭機部・栗尾村・秦伴部村・狭機村・繰機部・漆畑村・大生部村 『校補 但馬考』 高橋郷 佐々木庄 河本(カワモト)・西谷・天谷・小谷(オダニ)・佐々木・相田・正法寺・平田・栗尾 片野庄 佐田・久畑・後村・中村・小坂 高橋庄 薬王寺・大河内

地 図

兵庫県豊岡市但東町河本885

交通アクセス・周辺情報

参 考

但馬の神社と歴史三部作

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