社号 式内 築狭神社
読み:ちくさ
通称名 千草の八幡さん
江戸時代は「諏訪明神」
延喜式神名帳 式内社 淡路国津名郡 築狭神社
読み:ツキサ
所在地 兵庫県洲本市千草甲218
旧地名 淡路国津名郡
御祭神
主祭神 速須佐男命(はやすさのおのみこと)
配祀神 誉田別尊(ほんだわけのみこと)
例祭日 9月第1日曜日
古代社格制度『延喜式神名帳』式内社
南海道 163座 大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134
淡路国 13座(大2座・小11座)
津名郡(ツナ) 9座(大1座・小8座)
近代社格制度 旧村社
創建
本殿様式 流造 銅葺
伊勢神社・稲荷神社・菅原神社・金刀比羅神社
別当 満泉寺
洲本市内の国道28号線が連休で渋滞していたので、洲本川の支流千草川沿いの県道481号線へ手前の橋から抜ける。ナビでは狭い旧街道らしい家並みの道を示した。こんな細い道に他府県ナンバーだからか変な目でジロジロ見られている気がした。しばらくして対岸にやや広い道が並行して走っているのでそちらに移動。
由 緒
創立年不詳。延喜式式内小社に列し、江戸時代は、紅葉ヶ社諏訪明神と崇められていた。
明治初年築狭神社と復称し、同6年(1873)に村社に列し、同43年(1910)に八幡神社(千草中村鎮座)を合祀した。
-「兵庫県神社庁」-
社叢 鳥居
社号標 拝殿
狛犬
拝殿から本殿 本殿
本殿左境内社 本殿右境内社
岩の中に祠 主祭神が速須佐男命となる以前からこの土地に薬草など多種な草花がとれたのでそれを自然神として磐座だったのではなかろうかと思える神秘さを感じる。
千草
「ちくさ」の由来については、出浅(いで・さ)説と茅草(ち・くさ)・千草説がある。出浅説は次のようなものである。「日本書紀」には、新羅の王子・天日槍が日本に渡来したとき、垂仁天皇が「播磨国の宍粟邑(しさわの・むら)と淡路の出浅邑に居住してよい」と言ったとある。この「出浅」を伊豆佐(い・づ・さ)と読み、伊を略すると豆佐(つさ)となる。築狭神社の「築狭」は当時、豆佐と読んだと考えられることから、築狭は出浅に由来するというのだ。その「つさ」が後に「ちくさ」に転じたとするが、出浅の語源はわかっていない。
茅草・千草説の茅(ち)は、野山や道端に生える茅(かや)などイネ科の多年草。この場所には茅が多かったとか、さまざまな草が生えていたから「ちくさ」と呼んだとするものである。
ほかに「ちくさ」という地名に、名古屋市の千種区や兵庫県の中西部の千種川、宍粟市千種町がある。千種町は「播磨国風土記」に「敷草(しき・くさ)の村」と記され、1250(建長2)年の記録には「千草村」とある地で、1960年に千種町となっている。
洲本市千草も山間地であるし、やはり草と関係のある地名であろう。
公共 「洲本高速バスセンター」下車車で10分
車 洲本市役所の南3000mの千草に鎮座
洲本川に合流する千草川に沿って遡り、少し西へ入った場所。
「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他