社号 式内社 但馬国城崎郡 耳井神社
読み 古 ミミヰ 現 みみい
江戸時代は「天神社」と称していた
所在地 兵庫県豊岡市宮井字大門215
旧地名 但馬国城崎郡奈佐郷
御祭神 御井神(ミイ)
『国司文書 但馬神社系譜伝』 美々井命(小田井県主)
例祭日 10月15日
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
城崎郡[キノサキ]:21座 大1小20
式内社
近代社格制度 旧村社
創建 白鳳3年(652)6月
本殿様式 入母屋造柿葺
国道178号線福田交差点から但馬空港へ向かう途中に北へ行く。
式内社・耳井神社に比定されている神社。
『国司文書 但馬故事記』
人皇八代孝元天皇五十六年夏六月、美々井命の子 小江命をもって、小田井県主となす。
小江命は大浜を開き、国作大己貴命 を小江丘に祀る(式内小江神社)。小江命は美々井命を宮江(今の宮井)に葬る。
天武天皇白鳳3年6月、城崎郡郡司、物部韓国連鵠が黄沼前県主、耳井命を祀つたのに始まると伝えられる。中世後期、この地に処つた篠部伊賀守は守護神として耳井神社を尊崇したといわれ、篠部氏は山名氏の麾下に属し、宮井集落西方の城ノ谷に城館を構えていた。
もとは、現在地の西南200mの神処と称する地にあったという。
-『延喜式の調査』さんより-
御井とは水の湧く場所であり、もとは、現在地の西南200mの神処と称する地とあるので、現在社号標が建っているあたりにあったと思われる。養父市大屋町宮本、日高町土居にも御井神を祀る御井神社がある。木俣神(きのまたのかみ、このまたのかみ)は大国主神と八上比売命の娘。八上比売は大穴牟遅神の最初の妻であったが、須勢理毘売を正妻に迎えたため、これを恐れ、子を木の俣に刺し挟んで実家に帰ってしまった。そのため、その子を名づけて木俣神という。またの名を御井神(みいのかみ)という。『古事記』では性別不詳であるが、祭神としている各神社の社伝では、大穴牟遅神の長男としている例が多い。一般的に木の神、水神、安産の神として崇敬されている。
社号標 鳥居
神社から離れた宮井川のそばに立つ社号標からすると、古くの道は集落のそばで、そこから宮井村に入り参道が延びていたようだ。
社殿覆屋