社号 式内社 但馬国朝来郡 足鹿神社
読み:古 アシカ 現 あしか
江戸時代は「八代大明神」と称していた
所在地 兵庫県朝来市八代字宮山229
旧地名 但馬国朝来郡山口郷
御祭神 道中貴命(みちなかのむち のみこと)
『国司文書 但馬神社系譜伝』伊香色男命(いかしこお のみこと)
例祭日 10月18日
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
朝来郡(アサコ・あさご):9座(大1座・小8座)
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式 流造
三柱神社・平和の宮
国指定天然記念物 八代の大欅
朝来市指定文化財 足鹿神社本殿・狛犬
県道70号線を養父市建屋から八代峠トンネルを抜けると朝来市上八代。途中播但自動車道が平行して通る。八代茶の産地としても知られる。大きな杉の木が何本もそびえた境内には、道路から橋が架かって参道が延びている。八代の大けやきの場所としても知られている。
町内に三つある式内社の一つである。覆屋の中にある一間社流造りこけら葺の本殿は、屋根の正面に唐破風、干鳥破風を重ねた豪華な造りで、社殿も桁行2.7m、梁間2.4mと大きく向拝の面取り柱、海老虹梁、木鼻、手挾等の彫刻もすぐれ、脇障子、昇高欄付木階、周縁等ていねいに造られている。
天井裏には貞享2年(1683)再建の棟札があり、その後補修されておらず、部分的には改修以前のものを使用しており、木鼻、蟇股、大瓶束等に室町期の様式をうかがうことができる。本殿には、狛犬(町指定文化財)一対がある。平成元年12月 朝来町教育委員会
「社頭掲示板」
創祀年代、由緒は不詳。
八代大明神とも呼ばれる神社で、式内社・足鹿神社に比定されている古社。
祭神は道中貴命。
詳細は不明だが、案内板によると、平安時代初期、当地に派遣された方だそうだ。
個人的感想としては、もっと古くからありそうな神社なので本来の祭神は違うような気がする。『国司文書 但馬神社系譜伝』
人皇三十七代孝徳天皇の大化三年春三月、朝来軍団の少穀・物部連飛鳥は、その祖・伊香色男命を職田領八代丘に祀る。道中貴命を祀る神社が但馬にもう一つある。須賀神社 (新温泉町)の御祭神も道中貴命(みちなかむちのみこと)である。貴命(むちのみこと)といえば大己貴命(おほなむち)である。大穴牟遅神(おおなむぢ)、大穴持命(おおあなもち)、大汝命(おほなむち)、大名持神(おおなもち)とも記すが、大国主の別称である。元々別の神であった神々を大国主として統合したためともされる。
八代は、旧山口村で1954年(昭和29年)3月31日 – 山口村と中川村が合併し、朝来町が誕生。養父市建屋から八代峠を越えて播磨へ抜ける県道70号は、八代峠手前に上八代と八代がある。また、西へはかつての神子畑鉱山を過ぎて、宍粟一宮町のヒボコゆかりの御形神社へ抜ける国道429号が合流する交通の要所である。播磨風土記では、「藤無山で伊和大神と天日槍が国争いをして、黒葛を投げると養父と気多(旧日高町)に落ちたので天日槍は但馬出石へ赴いた。」あくまでも言い伝えであるが、とすれば藤無山から養父に行くにはこの道か、県道6号を明延鉱山から大屋への道である。しかしどちらも山奥にも関わらず鉱山があったルートであり、伊和大神と天日槍が国争いは鉄や鉱物資源争いであるとすればまんざらでたらめではないどころか出雲から来た鉄集団伊和大神は、宍粟で揖保川から上ってきた天日槍の製鉄集団とぶつかったのは作り話ではない気がするのである。伊和大神は播磨国一宮となり、天日槍は但馬国一宮として。県道6号には御井神社(大屋町宮本)があるが古くは御祓山山頂にあり養父市森へ抜ける。道が違うが県道70号の三谷から大屋へ抜ける頂上近くに板蓋神社(大屋町上山)が、国道429号の佐嚢神社(朝来市佐嚢)、県道70号は、足鹿神社、楯縫神社、杜内神社と式内社が多いのである。上八代は道後、八代は社で足鹿神社を指す。八代はかつては道中と呼ばれていたのではないだろうか。道中の貴命とは、この地の豪族の呼び名ではないかと思える。
社叢 神橋・鳥居
社頭案内板
拝殿 拝殿扁額
本殿
境内社
高さ約30メートル、幹周り約9メートルもの巨木です。推定樹齢は約1500年。足鹿神社の境内にあり、古くからご神木としてあがめられています。-朝来市-
JR播但線「新井駅」より南西へ1900m
「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他