社 号 蜊江神社
読 み つぶえじんじゃ
別 名 「御蜊様(オツブサマ)」の神社
所在地 滋賀県守山市笠原町939
御祭神
御神紋 木瓜
例祭日 5月4日
近代社格制度 旧県社
創建 年代不詳
本殿様式 三間社切妻造
若宮神社
地蔵院:慈摂<ジショウ>大師二十五霊場第八番札所
観音堂(西源寺<サイゲンジ>):湖東三十三霊場第三十番札所
境内に鳥居と山門、社殿と仏堂が並び立つ、全国でも珍しい「神仏習合型」を今に伝える神社。御祭神は
創祀年代は詳らかではないが、三条天皇長和年間には、社殿再建がなされ、文明年間兵火に罹り、社殿・神宝・旧記等悉く烏有に帰し、封領も奪われて小さい社に三和大明神として一時期祀られていたが、その後佐々木近江守高頼は進藤山城守、日賀田摂津守に命じて新に高壮な社殿を造り、神田数ヶ所を奉納した。だが永正年間再び兵火のため荒廃した。そこで山内の明舜坊が大願を発して郷中の民を励し、天文十二年竣工。この頃より、蜊江大明神と称した。文化十二年洪水のため社殿楼門はじめ多く流水し、文政十年今の社殿を再建。翌十一年遷宮に至った。その沿革は大略古老の伝記、伝説、縁起、略記等に依って伝承されている。なお延暦年間、天台宗叡山開祖自筆の大般若経理趣一巻を大蜊が背負い、琵琶湖から法竜川を遡上って神社へ奉納したこところ、村民たちは奇異、霊感を感じて明神の変身として、処々に池を造り、鎮め崇めたという。
「滋賀県神社庁」
鳥居 しゃれた注連柱と神門
手水舎 拝殿
狛犬
中門・本殿
本殿左手境内社 境内右手 愛宕神社
地蔵院
鰐口(鎌倉時代)[県指定文化財] 毘沙門堂
鰐口(わにぐち) 鰐口は鈴の原型で、おそらく本物は保存されレプリカだと思われるが、鈴が用いられる以前の状態を実際に体現できる神社は数少ない。
タニシのかわいらしいオブジェ
蜊は訓読みで「あさり」、音読みで「リ」。タニシは「田螺」と書く。蜊は二枚貝の浅蜊(アサリ)なのだが、遠浅の海に生息する。淡水湖の琵琶湖や池に生息するはずはない。当地ではタニシをツブといい蜊の漢字を当てているのかなと思った。
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