社号 春来神社
読み:はるき
江戸時代には五社大明神と称されていた
延喜式神名帳 式内社 但馬国二方郡 春木神社
読み: ハルキ
江戸時代には五社大明神と称されていた
所在地 兵庫県美方郡新温泉町春来827
旧地名 但馬国二方郡春木村
御祭神 祭神 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
配祀神 伊弉諾命(いざなぎ のみこと)・伊弉册命(いざなみ のみこと)・大己貴命(おおなむち のみこと)・少彦名命(すくなひこな のみこと)・
『国司文書 但馬神社系譜伝』 大山守命
例祭日 10月5日
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
七美郡(しつみ):10座(並小)
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式 春日造
山神社
何十年ぶりに今回は新温泉町歌長(湯谷)から春来の神社を訪ねるために通ってみた。国道だった二車線道路は現在は兵庫県道561号湯谷和田線となっている。
春来峠で標高541m、さらに神社は最も高い場所に鎮座されているので考証600m近い場所。養父郡妙見山の名草神社(800m)や香美町(美含郡)の三川山蔵王大権現・式内社美伊神社、氷ノ山の因幡但馬四郷社舂米神社(鳥取県若桜町)も高いが、旧七美、二方両郡の式内社としては最も標高の高い場所だ。
由 緒
天武天皇白鳳6年(677)の創祀である。天正16年(1588)、火災により古記録が焼失。
江戸時代には五社大明神と称されていたが、明治に入り春来神社と改称した。
-「兵庫県神社庁」-
『国司文書 但馬神社系譜伝』
人皇四十二代文武天皇の大宝元年(701)秋九月、春木山に鎮座す。
延喜式神名帳は春木と記しているがハルキの万葉仮名であり意味はない。のちに雪深いこの地方の願いを込めて早く春が来るようにという意味で春来という字になったと伝えられる。テラギを照来と書くのも同様の思いからだと想像すると、この豪雪地帯に住む人々の冬の暮らしが偲ばれます。今では長いトンネルで鳥取や養父などへ通うことはそう不自由はないが、積雪になると交通が閉ざされ、作物も適さず、牧畜や但馬杜氏など出稼ぎ中心でした。今でも新温泉町の旧温泉町や村岡町は、伏見や各地の酒を支える但馬杜氏と同時に但馬牛のメッカです。
春来バス停 旧春来小学校下の細い道参道入口に石灯籠があった。
参道入口(旧春来小学校脇) 鳥居 五社大明神とある
拝殿・本殿 覆屋 拝殿扁額
境内社 愛宕大権現・山神大明神
春来峠(旧国道9号)
参考までに日本一となった梅錦や伏見の月桂冠、月の桂、玉の光など大吟醸酒づくりの研究の基礎は、温泉、村岡杜氏で、但馬杜氏組合は全国四位の規模を誇る杜氏組合です。ちなみに杜氏とは、正しくはお酒つくりの蔵人全体をさすのではなく、棟梁(酒造責任者)にのみ与えられた称号です。
国道9号線春木トンネルの旧道を春来へ