村社 三柱神社(豊岡市日高町万却)

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社 号 三柱神社
読み:みはしら
江戸時代末期は三宝荒神
所在地 兵庫県豊岡市日高町万劫(まんごう)67
旧地名 但馬国気多郡太多郷
御祭神
主祭神 奥津彦命(オキツヒコノミコト)
配祀神 奥津姫命(オキツヒメノミコト) 火結命(ホムスビノミコト) 祓戸四柱神(ハラエドノヨハシラノカミ)
例祭日 10月15日

社格等

式外社
近代社格制度 旧村社

創建
本殿様式

境内摂末社(祭神)

一口メモ

国道482号線を神鍋へ。蘇武トンネル手前で奥神鍋(山田)へ向かう旧道を左に曲がると万却区。

歴史・由緒等

由 緒
創立年月不詳

文久2年(1862)本殿を造営し、三宝荒神と称す。

明治3年(1870)三柱神社と改称し、同42年(1909)無格社(兵庫県神社誌)川濯神社を合祀し社殿を改築せり。

-「兵庫県神社庁」-

境内・社叢


鳥居

  
能舞台?                 参道

   
狛犬

  
本殿覆屋                 石灯籠

地名・地誌

『国司文書別記 但馬郷名記抄』(975・平安時代)
太多郷
止美(トベ)・己呂訶伎(コロガキ)・漆垣・山守部・石作部・太多村・壬生部・稲葉・巨智部(コチ)・秦部・的部・錦部・栗栖・太刀宮・田口・羽知

太田文(1285・鎌倉時代)
太多郷
十戸・此垣・漆垣・山宮・石井・太多・栃本・東河内(ヒガシコウチ)・水口(ミノクチ)・稲葉(イナンバ)・萬却(マンゴウ)・山田(ヤマタ)・萬場(マンバ)・名色(ナシキ)・栗栖野(クリスノ)・庄境・久田谷・田口(タノクチ)・羽尻

※漆垣は現存せず

察するに平安時代までは、壬生部・稲葉・巨智部(コチベ)・秦部・的部・錦部・栗栖の順で考察するに、壬生部(みぶべ)は水口、的部は万場、錦部は名色また西気のこともさすのだろうか。栗栖は栗栖野で間違いなかろう。とすれば、今の万却は壬生部・巨智部の分村で、その東にあるから東巨智が東河内となった、秦(ハタ)部が残る山田ではなかろうか?

地 図

兵庫県豊岡市日高町万劫67

交通アクセス・周辺情報

参 考

「兵庫県神社庁」

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