概 要

社 号 二柱神社
読み にはしらじんじゃ

古称 若井一神社
射所兵主神社? 『国司文書・但馬故事記』
所在地 兵庫県美方郡新温泉町井土937
旧地名 但馬国二方郡八太郷
御祭神 主祭神 伊弉諾命イザナギノミコト
配祀神 伊弉冊命イザナミノミコト 素盞嗚命スサノオノミコト
御神紋
例祭日

社格等

近代社格制度 旧村社
創建     年代不詳
本殿様式

境内摂末社(祭神)

 

一口メモ

国道9号線と浜坂へ通じる県道47号線が分岐する竹田交差点を北へ約500m。美方警察署井土駐在所の北に参道。井土集落センターに駐車場があるので停めさせていただいた。

歴史・由緒等

往古出雲国足日山より勧請し来り。宇井脇に奉斎せしが中古今の処に遷座せり。応永(1394~)以前黒坂城主美作守敬神の念厚く、年毎に国家安寧の祈願を捧げたり。
明治初年二柱神社と改称し、同6年(1873)10月村社に列し、同43年(1910)須賀神社を合祀せり。

「兵庫県神社庁」

『国司文書・但馬故事記』に、

人皇37代孝徳天皇2年5月 二方国造真弓射早彦命に勅して、当国の甲冑および弓矢を閑広の処に収め、兵庫を作り、軍団を設けしめ給う。

(中略)

当国の大毅ダイキ(隊長)、竹田連面沼タケダノムラジメノは、葦田首道雄を召して、刀剣鉾族を鍛えしめ、
楯縫連美佐雄タテヌイノムラジミサオを召して、楯を縫わらしめ、
矢作連媒鷹ヤハギノムラジヲタカを召して、弓矢を作らしむ。
その物すでに成り、これを兵庫ヤクラに収む。これにおいて兵主神を祀り、軍団の守護神と為す。これを射所イドコロ兵主神社と云う。(井土の二柱神社と思われる)
またその祖、武田折タケダオリ命を兵頭ヒョウズ丘に祀り、面沼神社と称えまつる。(式内面沼神社 美方郡新温泉町竹田1)
小穀大家首高志はその祖天道根命の孫、彦真倭命を大庭丘に祀り、大家神社と申しまつる。(式内大家神社 美方郡新温泉町二日市558-1)
校尉須賀美津男はその祖須賀狭津男命を波多丘に祀り、須賀神社と申しまつる。時は大化3年(647)秋7月なり。(式内須賀神社 美方郡新温泉町宮脇193)

これに倣い、葦田首道雄はその祖天目一箇命を細田丘に祀り、葦田神社と称えまつる。
楯縫連美佐雄はその祖彦狭知命を楯谷丘に祀り、楯縫神社と称えまつる。
矢作連媒鷹はその祖経津主命を矢作丘に祀り矢作神社と申しまつる。

『国司文書・但馬故事記』

とあるから、射所兵主神社は現存せず、最初は射所は湯処で湯区と思い、新温泉町湯にある八幡神社ではないかと考えたが、兵庫のそばに兵主神が祀られるのは、『国司文書・但馬故事記』に共通する。面沼神社は兵頭ひょうず丘に祀りとあり、兵頭と兵主神社の発音は同じなので兵主神社の丘である。射所兵主神社は、兵庫や面沼神社のある竹田とそう離れた場所ではないはずだから、面沼神社は竹田の東端ですぐ東は井土になる。射所兵主神社がある丘が兵頭丘であろうから、同じ「ひょうず」の意味で、射所が井土に転訛したのでないかとの考えが濃厚になった。井土には二柱神社がある。二柱神社は主祭神に伊弉諾命。配祀神に伊弉冊命 素盞嗚命が祀られている。他所の兵主神社でも祭神は素盞鳴尊か大己貴命であるので、素盞嗚命と兵主神社は合っているが、社伝では、イザナギ・イザナミとペアで祀られている神社に明治初年、須賀神社の祭神を合祀したというが、、兵主神社の祭神は素盞鳴尊である事が多いので無関係でもない。

境内・社叢

  
鳥居                      参道

  
左手境内社


右手境内社

地名・地誌

地 図

兵庫県美方郡新温泉町井土937

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参 考

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