社 号 児嶋神社
読み こじまじんじゃ
小島神社 (おしま)『国司文書別記 但馬郷名記抄』
所在地 美方郡新温泉町海上(うみがみ)807
御祭神
穂高高見命 『国司文書別記 但馬郷名記抄』
御神紋
例祭日 9月19日
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳 (神護景雲二年(768)『国司文書・但馬故事記』)
本殿様式
「海上傘踊」 町民俗文化財
この傘踊りの起源については歴史性に乏しい面もありますが、鳥取県国府町の「傘おどり」と同系列のものであり、徳川末期と伝えられている。「新温泉町」
国道9号線の鳥取県との県境近くの千谷を南に岸田川の最上流部八田地区がある。しばらく進み右に折れて坂道を登ると海上区の入口に神社がある。氷ノ山に近い鳥取県との県境にある、海とは全く無縁の標高の高い場所なのに「海上(うみがみ)」という地名が不思議だった。古くは海神と書いて「ワタガミ」と云った。但馬地方で最も古い遺跡として「畑ケ平遺跡」や、岸田川流域は縄文・弥生時代の遺跡が多い。
『国司文書別記 但馬郷名記抄』八太郷に海神村についてのみくわしく記載されているからであった。
創立年月不詳
牛ヶ峯明神より氏子分離をなして当社を鎮守とし兒嶋権現と仰ぎたり。
明治6年(1873)10月村社に列せらる。「兵庫県神社庁」
人皇48代称徳天皇の神護景雲二年(768)夏六月、主帳大初位下・大庭造戸田麿を以て主政に任じ、十八位下を授く。
凡海連 美寿雄を以て主政に任じ、大初位下を授く。凡海連美寿雄は、その祖穂高高見命を小島丘に祀り、小島神社と申し祀る。『国司文書 但馬故事記』
鳥居 本殿覆屋
狛犬
左手境内社 4社
海上(うみがみ)
『国司文書・但馬故事記』
『国司文書別記 但馬郷名記抄』
二方郡八太郷海神(わたかみ)村
海神村は
城崎郡小島村は、この年の夏五月大地震い、全村ほとんど陥没す。凡海おほしあま神社は震災にかかる。故に凡海連は、御神体を出しまつり、山の峯に斎きまつる。
一夜波多宮にあり。布留玉命は八太造に託宣して曰く、
汝の族凡海連、城崎郡小島山において震災にかかり、身を置く所なし。故にこの地に迎えて保護せよ、と。
八太連はその霊夢に感じ、城崎郡小島村に至り、凡海連に逢い、その神託を語り、これを迎える。
故に凡海連の一族は、八太郷に遷り土地を開く。凡海神を斎きまつり、小島神社と称し祀る。小島村の凡海神社をもって、この地に遷しまつる。
凡海連は、海部直命の御子孫絶えたる後、海人を給する頭領となる者なり。御子孫は、世々海人頭領となる。故に天武天皇の御世三年秋七月、穂高高見命を小島の碇石山に斎き祀り、これを凡海神社と称し祀る。
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