社 号 加都神社
読 み かつじんじゃ
秦勝部神社 秦の酒公 『国司文書 但馬郷名記抄』
所在地 兵庫県朝来市和田山町加都1803
旧地名 但馬国朝来郡賀都郷加都市場村
御祭神 主祭神
配祀神
天事代主命『国司文書 但馬故事記』
例祭日 10月17日
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式
淡島神社 西宮神社 稲荷神社 秋葉神社
国道312号線加都交差点からは近いが筒江から旧道を入ったので分かりにくかった。鳥居の横に広場に止めて石段を登る。あとから加都交差点と広場からのどちらからでも車で境内まで登れることを知ったが遅い。次回はもっと日中に撮り直したい。
創立年月不詳
明治6年(1873)10月村社に列せらる。
大正2年(1913)村社八幡神社を合祀し加都神社と改称す。「兵庫県神社庁」
人皇16代応神天皇元年8月 県主武田背命は禾鹿(粟鹿)の託宣により、
当勝足尼命 の子・表米別命 をして、神功皇后を禾鹿 神の屋代丘に祀らしむ。(当勝神社)40年春3月 県主武田背命は、其の娘武田姫命を表米別命に妻せ、朝来県主と為す。
人皇17代履中天皇3年春2月
表米別命 の子・賀都米別命 を以て朝来県主と為す。母は茂志毘売 命、夜父 県主武稲種子 命の娘なり。秦勝部在住の地なり。故に秦勝部神社あり。秦の酒公を祀る。
人皇57代陽成天皇元慶5年秋8月 正八位上、山口朝臣数雄を以て、朝来大領と為す。都夫江首政成を以て主政と為し、飛鳥直義資を以て主帳と為す。
都夫江首 政成はその祖、天津彦根命を賀都邑*1に祀り、都夫江神社と申しまつる。(筒江)飛鳥直 *2義資はその祖、天事代主命を賀都村に祀り、飛鳥神社と申しまつる。『国司文書 但馬故事記』第二巻・朝来郡故事記
「兵庫県神社庁」に、「大正2年(1913)村社八幡神社を合祀し加都神社と改称す。」とある。現在の主祭神、誉田別尊は応神天皇である。天応元年(781年)朝廷は宇佐八幡に鎮護国家・仏教守護の神として八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の神号を贈った。これにより、全国の寺の鎮守神として八幡神が勧請されるようになり、八幡神が全国に広まることとなった。また、平安以降、全国の武家から武運の神として八幡神ともいわれ崇められ武将が好んで城内に誉田別尊(応神天皇)を祀った神社である。
八幡神社を合祀するとあるから、元の神社があり祭神は配祀神の少彦名命だったのか。当社はそれまでは別の社号であったようだ。『国司文書 但馬故事記』第二巻・朝来郡故事記に「人皇17代履中天皇3年春2月
*1 賀都邑とあるが、『国司文書 但馬故事記』第二巻・朝来郡故事記には、「都夫江首政成はその祖、天津彦根命を賀都邑に祀り、都夫江神社と申しまつる。飛鳥直義資は其の祖・事代主命を賀都村に祀り、飛鳥神社と申し祀る。」
同じく『国司文書 但馬故事記』の最後の神社として、「人皇62代村上天皇天暦5年秋8月 従八位下和田山守部を以て朝来小領と為す。
和田山守部は其の祖天道根命および大国主命を賀都邑に祀り、和田山二宮神社と申しまつる。」とあることからも、賀都邑は賀都郷の誤記だろう。『国司文書 但馬郷名記抄』賀都郷には、加都の古名に似た秦勝部が記載されている。
*2飛鳥直
「新撰姓氏録」によれば、飛鳥の先住民であるといわれる飛鳥直は、天事代主命の後(すえ)であるという。飛鳥直(あすかのあたい)は、大和国飛鳥を意味するのか、その氏族の系統を飛鳥直と称したかも知れないが、「都夫江首政成はその祖、天津彦根命を賀都邑に祀り、都夫江神社と申しまつる。飛鳥直義資は其の祖・事代主命を賀都村に祀り、飛鳥神社と申し祀る。」の文脈から、
県主(のち郡司)、大領・主政・主帳は、郡郷邑内の終年制、世襲制がほとんど。飛鳥直義資を以て主帳となっているから、当地に永く住んでいて賀都を通称飛鳥とも呼んでいたのではないか。
参道 御神燈
鳥居 拝殿
拝殿・本殿 左境内社 淡島神社
右手境内社 西宮神社
稲荷神社 秋葉神社
賀都郷
『国司文書 但馬郷名記抄』
秦勝部在住の地なり。故に秦勝部神社あり。秦の酒公を祀る。
秦勝部・建田村・久世田・寺内・都夫江・殿来・秦部・赤淵村・赤井村・比地村・桑原村・和田山
『太田文』
久世田・竹田・加都市場・寺内・筒江
右加都庄と云う、また久世田庄と云う
下村・殿村・奥村・藤和・久留引
右安井庄と云う
西枚田・枚田岡・市御堂・法興寺・比地・玉木(今の玉置)・和田山・桑原
右枚田郷と云う
現在
平安後期から、分かるもの、そのまま残るものとしては、建田村は竹田、久世田、都夫江は筒江、殿来・殿木は今の殿、赤淵村は枚田、赤井は法興寺、比地村は柿坪、桑原・和田山はそのままのようだ。
JR播但線「竹田駅」より北東へ1400m
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