社 号 宇都野神社
読 み うつのじんじゃ
江戸時代は、牛頭天王宮(祇園社)と称していた
別 名
所在地 兵庫県美方郡新温泉町浜坂2456-4
御祭神
配祀神 素盞嗚命 稲田女命
宇津野真若命(二方国造)『国司文書・但馬故事記』
御神紋
例祭日
10月8日 秋の例祭 別命「菊の節句」ともいわれ浜坂、芦屋の氏子が弊を捧げて参拝する。
7月18日 夏の例祭 但馬三大祭「川下(かわすそ)祭り」
古くは江戸時代中期に遡り、当時の豊岡・京極藩の管轄であった浜坂が天領になったのを機に始められました。
中日には3,000発の海上打ち上げ花火が行われます。「浜坂観光協会」
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式 入母屋造 破風、唐破風 銅板葺
なし
浜坂麒麟獅子舞 県無形民俗文化財 宇都野神社の他に浜坂町八地区に伝わる。
暖帯性植物原生林 県指定天然記念物
(社殿を覆っている森は5メートルのスダジイ(シイ)をはじめ、スギ、サカキ、クスノキ、ツバキなど多数の植物が繁殖しており、兵庫県指定天然記念物「暖帯性植物原生林」に指定されている。)
宇都野神社神額 町文化財・古文書
兵庫県美方郡新温泉町は、兵庫県最北西で、『国司文書・但馬故事記』に、
初代神武天皇5年(推定BC655年)8月 若山咋命の子穂須田大彦命を以て、布多県国造と為す。
とあるから、少なくとも弥生時代以前は布多県国(のち二方国)として、但馬国と因幡国の間に成立していたようだ。新温泉町は、2005年美方郡浜坂町と温泉町が合併して発足したが、その町域はちょうど二方国(のち庚子4年、二方国を廃し但馬国二方郡)全域である。なぜ二方国は但馬・因幡などに比べると小さな面積にも関わらず、独立していたかは謎に思っていた。二方(新温泉町)で最も知られる神社が当社である。宮司不在社が多い中、当社は宮司さんがいらっしゃる神社で、周辺の不在社を兼務されている。
創立年月不詳
応永21年(1414)社殿を再造し、近世牛頭天王と称せしも明治6年(1873)現在の社名に改め10月村社に列せらる「兵庫県神社庁」
人皇十代崇神天皇3年秋7月 糠田泥男命の子宇津野真若命を以て、布多県国造と為す。宇津野真若命は浜阪宮に在りて国を治む。
人皇56代清和天皇の貞観6年正月 垂水公音麿を以て主政に任じ、大初位上を授け、葦屋村主真幸を以て主帳に任じ、大初位上を授く。葦屋村主真幸はその祖阿須伎命を葦屋丘に祀る。
『国司文書・但馬故事記』第八巻・二方郡故事記
二方国造宇津野真若命は、宇津野宮に鎮座す。素盞鳴尊の13世孫。
宇津臣は、二方郡主帳となる。故にこれを合せ祀る。
『国司文書別記 但馬郷名記抄』
鳥居・社号標
手水舎 神橋
石段手前の狛犬
社殿前の石段 拝殿
本殿
本殿左手境内社 愛宕神社、二柱神社 神武天皇遥拝所
本殿右手境内社 左より三柱神社 八柱神社 伊那神社 針神社 稲荷神社 三柱神社
八柱神社 伊那神社 針神社
稲荷神社
麒麟獅子ブロンズ像
鮑之霊水
神社の案内板
境内にある鮑之霊水は、社伝によると人皇十代、崇神の御代に、四道将軍彦坐命(日子坐命とも書く)が丹波・但馬に来られて賊を平定され、海路出雲国に向かわれるとき、宇都野真若命は彦坐命をお迎えして塩谷浦で命の御船を修理し、あるいは新造された。このとき船に穴が空いて海水が入ってきた際、大鮑が穴をふさいでくれた。このため彦坐命は宇都野真若命に命じて、この大鮑を「船魂潮路守の大神」として宇都野の地に祀られ、これを鮑宮と称した。宇都野真若命は、この霊鮑をこの地に放養されたが、この冷水を「鮑水」というようになったそうである。
また、こういう伝承もあるそうだ。
船底には大きな穴が開いて船の修理は困難を極め、このまま修理に手間取ると宇都野真若命は、その責めを負わなければならない。そこに以前より密かに命を慕う美しい村娘が鮑の姿に化身し、船底の穴を塞ぎその間に船は修理を終え、軍船は無事に塩谷の浦を離れて行かれた。
宇都野真若命は娘の真心を思いこの大鮑を「船魂潮路守の大神」として宇都野の地に祀られたそうである。
浜坂宇都野神社の麒麟獅子舞
江戸中期から伝承されているもので、7月の夏の例祭、「川下(かわすそ)祭り」で神前で舞われた後、御輿(みこし)町内巡行列の先導として町内を廻り、家々の門前で家内安全を祈念し勇壮に舞います。祭り当日は露店が並び、花火が上がり、近隣から多くの見物人が押し寄せて、町は祭り一色となります。
JR山陰本線「浜坂駅」より西へ1100m
国の名勝天然記念物「但馬御火浦」
芦屋城址・国民保養温泉地 浜坂温泉郷(七釜・二日市・浜坂)