社号 日吉神社
読み:ひよし
山王権現社
所在地 兵庫県美方郡香美町香住区余部
旧地名 但馬国美含郡
御祭神 主祭神
配祀神ともに不明だが、日吉大社は、西本宮:大己貴神(大国主神に同じ) 東本宮:大山咋神
あるいは神仏習合の山王権現
例祭日
近代社格制度 旧村社
創建
本殿様式 一間社流造、柿葺(19世紀前期)
余部鉄橋のある余部から伊佐々岬を北へ進むと御碕。山道と石段が続き、かなり遠く感じる。御崎集落の消防器具庫の横手から細い坂道を登る。平内神社と途中まで同じ細道で真っ直ぐ行く。途中右に曲がると平内神社への参道。最初平内神社はこちらかと間違えて進んで行った。しばらく小川の沢沿いに登れば長い石段が現れた。
御崎灯台からさらに西へ海岸沿いに進む場所に村社美伊神社がある。集落内の神社の多くは、村社の境内に末社として一か所に集められているものだが、小さな集落であるが神社を三社も管理している例は珍しい。明治以前の村の原型をそのまま残っているといえるだろうか。しかし、山間部で戸数の少ない区が神社を維持管理するご苦労は想像に難くない。
元は平内神社と日吉神社は同じで、「三寶社山王権現」だったものが、 嘉永元年に再興され、山王権現が遷宮されたのが当社・日吉神社らしい。
[註] *1 神人(ミワヒト) 神社に奉仕する神職のこと。祝子ともいう。固有名詞としての神人は、大国主命の5世孫・大田田根子命の裔を指す。(新撰姓氏録)『国司文書 但馬神社系譜伝』
人皇15代神功皇后3年(203)夏6月、 五十狭沙別大神(イササワケノ オオカミ)を美伊県伊伎佐山に祀り、椋椅部首(クラハシベノオビト)を神人(ミワヒト)*1とし、祝部(ハフリベ)*2を定めました。またこの山を称して、大祝部(オオハフリベ)山といいます。(余部に式内伊佐々神社あり)
*2 祝部(ハフリベ) 神社の祭祀・管理・使用人の監督を行う部職。
『神祇志料』では、平内神社を余部の式内伊岐佐神社の元の社地とする説もある。 式内伊岐佐神社は、慶雲3年(706)7月諸国疫疾流行のため美含郡大領椋椅連小楢が、彦坐王命を伊岐佐の丘(伊伎佐山)に勧請したことに創まる。今より約1280年前のことであるが、神亀5年(728)5月、出雲色男命を勧請。更に天平7年には伊弉諾命(イザナギ)を勧請し主祭神とする。 一方、『国司文書・但馬故事記』で、人皇15代神功皇后3年(203)とするので、伊岐佐神社は、平内神社よりも古いので、平内神社の御由来にある創建年代が、「正治2年(1200)6月平教盛伊賀平内右衛門家長の霊祠を建て御霊荒神と称す。」のが創祀であれば、平内神社よりも前に伊岐佐の丘(伊伎佐山)に式内伊岐佐神社の元社はあったはず。平内神社より当社は山頂に近く、こちらが伊岐佐神社の元社ではとの印象も捨てがたい。