社 号 歌長神社
読 み うたおさじんじゃ
歌中神社 『国司文書・但馬故事記』
近世は妙見大明神と称していた
所在地 兵庫県美方郡新温泉町歌長804
旧地名 但馬国二方郡端山郷(のち温泉郷)
御祭神
御神紋
例祭日 10月9日
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳 (大宝2年(646)『国司文書・但馬故事記』)
本殿様式
歌長太神楽 町指定無形民俗文化財
天保年間以前より歌長に伝わる神楽で、源流は遊行芸である伊勢大神楽と獅子舞を合わせた物であり、「獅子舞」と「立て物」とで成立します。この地方で飢饉が相次いだ時、伊勢参りした村人達が神楽を覚えて帰ったのが始まりと言われています。
この太神楽が現存するのは、但馬では歌長のみで貴重なものです。
毎年10月1日の祭りの日には、歌長神社での「剣の舞」奉納から始まり、村の家々を廻りお祓いをし、五穀豊穣・無病息災を祈って家の軒先で舞います。笛と太鼓の音にあせて獅子が舞う「剣の舞」、「シングル舞」、天狗と獅子が舞う「ヒョウケンジン」の3種類の舞があります。「新温泉町」
国道9号線春来トンネルを出ると長いまっすぐの坂が続き、道路標識はどこまでも歌長である。やがて短いトンネルを抜けると歌長の人家。集落は国道よりコンクリート壁の高い場所にあり坂を登ると集落内の道は狭い。神社はさらに奥にあり、停める場所に苦労した。神社の下のお宅の前に神社参拝する間少し停めさせていただくことを断って快く了解していただく。ふつうの村の神社なので、遠方から参拝者が訪れることは稀だから、神社はすぐ裏手なので下から歩いて登ったほうがいいだろう。近くの美食津神社は道が狭そうなので諦める。
創立年月不詳
近世妙見大明神と称せしも、明治初年(1868)歌長神社と改め、同6年(1873)10月村社に列せらる。「兵庫県神社庁」
素盞鳴尊は、大年命・蒼稲魂命に勅して、布多県国を開かしめ給う。
大年命は、蒼稲魂命とともに布多県国に至り、御子を督励して、田畑を開き、その地を称して大田庭という。いま大庭という。(中略)
瑞山富命は、蒼稲魂命の娘、大御食津姫命を娶り、若山咋命・若年命らを生む。(中略)
瑞山富命宇多中宮に坐し、
大食津姫命は御食津宮に坐し、
若年命は波多茅原宮に坐し、
若山咋命は大前宮に坐し、
大山咋命は日枝宮に坐す。
みな開国の祖神なり。人皇1代神武天皇5年8月 若山咋命の子、穂須田大彦命を以て、布多県国造と為す。穂須田大彦命は、久々年命の娘、萌生比売命を娶り、刀岐波彦命を生み、宇多中宮に在りて国を治む。
(中略)
人皇16代応神天皇6年春3月 二方
開咋 彦命の子、宇多中大中彦命(亦の名は須賀大中彦命)を以て、二方国造と為す。宇多中大中彦命は、前原大珍彦命の娘、多久津毘売命を娶り、陽口開別 命を生む。
(中略)
人皇42代文武天皇大宝2年夏4月塩屋連環 を以て主政に任じ、歌中首葭江 を以て主帳に任ず。
塩屋連環はその祖葛城襲津彦 命を塩屋丘に祀り、塩屋神社と申しまつる(塩屋は、今の塩山ではないか。吹上神社)
歌中首葭江はその祖端山富 命を歌中丘に祀り、歌中神社と称えまつる。人皇62代村上天皇天暦2年春正月 正八位上岸田臣田公の子、公助を以て、二方大領に任じ、今木連幸人・内臣道麿等に神社神名帳を作らせ、郷社に納めしむ。
『国司文書・但馬故事記』
この神社神名帳の式外社の中で、歌中神社(本宮) 祭神 端山富命と、歌中神社のみ本宮と但し書きがあることから、歌中神社は複数存在したのだと推察でき、本宮以外の仮に「別宮」があったからであろう。
鳥居
石灯籠(御神燈)
堂 手水鉢
鳥居扁額 拝殿
拝殿扁額 □口神社? 本殿覆屋
左手境内社