社 号 香椎神社
読み かしいじんじゃ
古称 十二社大明神
往古は橿宮
久麻神社 『国司文書別記 但馬郷名記抄』
所在地 兵庫県美方郡新温泉町熊谷字川竹原山665
旧地名 但馬国二方郡熊野郷(のち温泉郷)
御祭神 主祭神
配祀神
御神紋
例祭日 10月3日
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式 一間社
なし
金屋から熊谷へ向かい、しばらく進むと左カーブした場所に鳥居があった。『国司文書別記 但馬郷名記抄』に香椎とあるので、神社の手前にバス停が二連寺とある集落のことだろうか。兵庫県神社庁HPには熊野神社という無格社が記されている。
熊野神社 祭神
廃校になった熊谷小学校前が神田というバス停を入り民家の間の細道に御神燈らしき石燈籠があった。参道らしき道をさがしたが見当たらなかった。付近で尋ねると、熊谷の熊野神社とはこの香椎神社のみだそうだ。
鳥居 拝殿
狛犬
神田バス停の中に石灯籠があった。
伝え云う、往古武内宿祢の末流某、因幡国法美郡宇部野より9人の従者と共に移住し来たり。堂の山に社殿を建てて仲哀天皇、神功皇后、武内宿祢の神霊を鎮座せしに創まる。
中古村内字宮山に宮殿を移転改築し、且つ従者9人の霊を小祠に祀り、更に熊野より勧請せし。熊野神を小祠に祀り本社と合して十二社明神と称し、香椎神社を其首座と仰ぐ。
当社は、但馬国唯一社の香椎宮の分霊社と称し、往古は橿宮と仰ぎたり。
永正11年(1514)、神田1反を寄進せられ、文禄4年(1595)本殿を再建せり。
慶応4年(1868)、明治維新の奉幣使を受け、明治6年(1873)、香椎神社と改称し、同年3月に村社に列し、同44年(1911)下山神社を合祀し、大正8年(1919)本殿及び本殿覆を、同12年(1923)拝殿を何れも再建せり。
「兵庫県神社庁」
熊野連在住の地なり。故に味饒田命を斎き祀り、これを久麻神社と称しまつる。『国司文書別記 但馬郷名記抄』
香椎(かしい)
『国司文書別記 但馬郷名記抄』 熊野郷
熊野・檜岑・伊角・香椎・金屋
熊野は今は熊谷、檜岑 岑の訓読みは、「みね」で、形容詞として岑しいは「「けわ(しい)」。ヒノキミネと読むのだろうか、今の桧尾。
香椎神社のある香椎は今は熊谷の一部となっている。神社付近に人家はなく、一番近いのは、2010年3月末をもって廃校となった熊谷小学校のある熊谷西部。