社号 若狭彦神社下社 旧)式内社( 名神大) 若狹比古神社二座
読み 古 ワカサヒコ 現 わかさひこじんじゃかみしゃ
所在地 福井県小浜市遠敷65-41
旧地名 若狭国遠敷郡
御祭神 豊玉姫命(とよたまひめ のみこと)
例祭日 3月10日
古代社格制度『延喜式神名帳』
北陸道 式内社352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338
若狭国(ワカサ) 式内社42座(大3座・小39座)
遠敷郡(オニフ・おにゅう) 16座(大2座・小14座)
式内社(名神大)
中世社格制度 若狭国ニ宮
近代社格制度 旧国幣中社
社格制度廃止後 別表神社
創建 元正天皇養老5年(721)2月10日、上社より分祀
本殿様式 流造
境内摂社(祭神)
国道27号線小浜市東小浜駅口交差点を南下してすぐ西側。
下社・若狭姫神社は、養老5年(721年)2月10日に上社より分祀して創建された。延喜式神名帳では「若狭比古神社二座」と書かれており、名神大社に列している。上社が若狭国一宮、下社が二宮とされた。元々は上社が祭祀の中心であったが、室町時代ごろから下社に移った。現在もほとんどの祭事は下社・若狭姫神社で行われており、神職も下社にのみ常駐している。 中世には社家の牟久氏が京の官人や有力御家人と結びつき、広大な社領を有した。
鳥居 随神門
社殿
若狭姫神社は安産・育児に霊験があるとされ、境内には子種石と呼ばれる陰陽石や、乳神様とよばれる大銀杏などがある。
境内社 日枝神社 中宮神社
神楽殿(舞殿)
巨大な千年杉
若狭国遠敷郡(オニュウ)
『続日本記』元明天皇の時代(707~715年)に「官命」が出され、「小丹生」から「遠敷」に。「おにゅう」に「遠敷」の字を当てたのは、「遠くまで黄金を敷き詰めた、秋の実りの豊かな土地」の意という説もある。
『若狭旧事考』「さて、遠敷という義(こころ)は美しき丹土(につち)の出るところ多し、故に小丹生(遠敷)といふ」
丹生とは、「辰砂(朱)」
遠敷の山中で、古い洞窟が発見され、「辰砂(朱)」が採取されたうえ、水銀含有が証明された。このことによって「丹生は水銀の産地」であり、なおかつ「遠敷は本来、小丹生」であったことが実証された。
ー若狭湾観光連盟ー
『延喜式の調査』さん、ウィキペディア-