貴船神社(二十二社(下八社)・名神大 貴布祢神社) 奥宮

概 要

社 号 貴船神社奥宮 貴船神社

式内社(名神大 山城国愛宕郡 貴布祢神社)

貴船神社の本宮
読み: 古 キフネ 現 きふね
所在地 京都市左京区鞍馬貴船町
旧地名 山城国愛宕郡
御祭神 闇龗神(くらおかみのかみ)
『神社公式サイト』は高龗神(たかおかのかみ)
一説には闇龗神(くらおかみのかみ)、玉依姫命も祀られていると伝わる

例祭日 6月1日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
愛宕郡(オタキ) 21座(大8座・小13座)
式内社 (名神大 月次/新嘗)

中世社格制度  二十二社(下八社)
近代社格制度  旧官幣中社
社格制度廃止後 別表神社

創建     不詳
本殿様式   三間社流造檜皮葺

境内摂社(祭神)

吸葛社 味耜高彦根命
日吉社 大山咋神
鈴市社 五十鈴姫命

一口メモ

高龗神、闇龗神について、社記には、「呼び名は違っても同じ神なり」と記されている。
降雨・止雨を司る龍神であり、雲を呼び、雨を降らせ、陽を招き、降った雨を地中に貯えさせて、それを少しずつ適量を湧き出させる働きを司どる神である。
一説には高龗は「山上の龍神」、闇龗は「谷底暗闇の龍神」といわれる。
水は万物の命の源。生きとし生けるものが命をつなぐために片時もおろそかにできない大切な水の供給を司る「水源の神」なのである。『神社公式サイト』

歴史・由緒等

奥宮は本宮の上流側700メートルの場所にあり、以前はここが本宮であった。社伝によると、5世紀初めごろの第18代反正天皇の時代に、神武天皇の母・玉依姫(たまよりひめ)が黄船に乗って淀川、賀茂川(鴨川)、貴船川をさかのぼり、現在の貴船神社の奥宮あたりに船を留め、そこに社殿を建てたのが始まりといわれています。

この奥宮が鎮座している場所は、貴船の谷の一番低い所にあるため、しばしば水の害に遭い、天喜3年(1055年)に
貴船神社の本宮を現在の場所に遷したそうである。

【由緒】『神社公式サイト』

御社殿の御創建を明記するものは何もない。ゆえに総研の年代は不詳ながら、天武天皇白凰6年(約1,300年前)にはすでに御社殿造替が行われたとの社伝があることから、貴船神社の創建年代は極めて古い。

貴船神社の起源については、貴船大神がご鎮座することになた伝説が次の社記の中に見ることができる。

「国家安穏・万民守護のため、太古“丑(うし)の年の丑の月の丑の日”に、天上より貴船山中腹、鏡岩に天降れリ」
とあって、よって“丑の日”が縁日とされているゆえんである。

また別の伝説には、第18代反正天皇の御代(約1600年前)、初代神武天皇の皇母・玉依姫命がご出現になり、
「吾は皇母玉依姫命なり。恒に雨風を司り以て国を潤し土を養う。また黎民の諸願には福運を蒙(こうむ)らしむ。よって吾が船の止まる処に祠を造るべし」と宣(の)り給い、「雨風の国潤養土の徳を尊び、その源を求めて黄船に乗り、浪花の津(現在の大阪湾)から淀川、鴨川をさかのぼり、その源流である貴船川の上流のこの地(現奥宮)に至り、清水の湧き出づる霊境吹井を認め、一宇の祠を建てて水神を奉斎す」とあり、“黄船の宮”と崇められることになったと伝えられている。

境内・社叢

  
神門                   拝殿

   
拝殿前狛犬

  
本殿                   権地

  
御船型石                 連理の杉

  
日吉社                  鈴市社

地名・地誌

地 図

交通アクセス・周辺情報

10台程度の駐車場がある

参 考

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