村社 院森神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社号 院森神社
読み:いんのもり
『国司文書・但馬故事記』陶谷神社(斎主森宮)
所在地 兵庫県豊岡市竹野町須谷1122-1
旧地名 但馬国美含郡竹野郷
御祭神 野見宿禰命(ノミノスクネノミコト)
例祭日 10月6日

社格等

式外社

近代社格制度 旧村社

創建  年代不詳だが、『国司文書・但馬故事記』第21代雄略天皇17年(473)
本殿様式

境内摂末社(祭神)

一口メモ

県道1号線沿いに鎮守の森がよく目立つ。神社参道はその北側に鳥居が建ち県道の反対側。

歴史・由緒等

由 緒
気多郡陶谷の人陶谷甕主部族を率いて当地に来たり陶器土器の製作に従事し其の祖野見宿祢を陶谷ノ丘に祀り陶谷神社と称す。後、須谷神社と訛称す。

建久2年(1191)斎森大明神と改め弓森大明神又は大森大明神とも称す。

寛政5年(1793)大炊御門家隆に扁額執筆を依頼せし処、犬の字を院と誤記し院森大明神となして以後院森大明神と称す。

明治6年(1873)10月村社に列せらる。明治32年(1899)社殿を改築し、大正5年(1916)祭神木花咲屋姫命を野見宿禰命に訂正する。

「兵庫県神社庁」

『国司文書・但馬故事記』美含郡神社一覧に、式外社 陶谷(スダニ)神社 同郡竹野郷陶谷村鎮座
祭神 野見宿禰命

『国司文書・但馬故事記』
第21代雄略天皇17年(473)春4月、
出雲国土師連(はじのむらじ)の祖・吾笥(アケ)の部属(みやつこ)、阿故氏人等部属を率いて、阿故谷*1にやって来たり、清器(スエキ)を作る。阿故は赤土なり。
よって埴(ハニ)を延ばすを名づけて、蕩(ヒク)と云う。故にその場所を蕩森(ヒクノモリ)とも云う。(蕩は止呂呂久(トロログ)と云うべし。のち単に蕩と云い、また森とも云う。故に阿故を置く谷を蕩と云う)

夏5月 気多郡陶谷(スエタニ)*2の人で陶谷甕主(スエタニノ ミカヌシ)が部属を率いて、また来たり。清器(スエキ)・土器を作る。

小埦(椀)甕人(オマリノ ミカビト)がまた来たり。清器を作る。

出石県埴野邑(ハニノムラ)の埴田陶人は、陶居邑に移住し、陶器・土器を作る。のち土生(ハブ)に還り、その業を営む。埴生邑*3は、陶谷氏人この地に住み、その業を為すなり。

陶谷氏人は阿居王(一に吾笥命)を阿故谷に祀り、阿故谷神社と申しまつる。(蕩ノ森宮これなり)
陶谷甕主はその祖・野見宿禰命(のみすくねのみこと)を陶谷4丘に祀り、陶谷神社と申しまつる。(斎主森宮これなり)
小埦(椀)甕人はその祖・建埦根命を小埦丘5に祀り、小埦神社と申しまつる。
植田陶人は、その祖・大襲盤命(オオソバ)を陶居丘に祀り、埴生田神社と申しまつる。

[註] *1 阿故谷 今の豊岡市竹野町阿金谷
*2 気多郡陶谷 今の豊岡市日高町奈佐路
*3 埴生邑 豊岡市竹野町羽入
*4 陶谷 今の豊岡市竹野町須谷だろう
*5小埦丘 豊岡市竹野町小丸

境内・社叢


一の鳥居

  
二の鳥居                 神橋

  
手水鉢                 拝殿

   
狛犬

  
本殿覆屋                 境内社

地名・地誌

須谷(すだに)

古くは陶谷

『但馬故事記・第一巻・気多郡故事記』

人皇21代雄略天皇17年春三月朔、詔して土師等をして応に朝夕の御膳に盛る青器を進ぜしめ給う。

これにおいて土師連の祖吾笥は、すなわち摂津国来佐々村、山背国内村、俯見村、伊勢国藤形村および丹波・但馬・因幡の私民部を進む。

但馬国出石郡埴野村、美含郡阿故谷村を贅土師部と云うはこれなり。

18年春4月、気多郡陶谷村の人陶谷甕主、出雲国阿故谷の人阿故氏人、小碗氏人等美含郡に入り、阿故谷・陶谷・埴生・小碗(今の小丸)において、陶器・青器の類を作り、部落を為す。

地 図

交通アクセス・周辺情報

参 考

「兵庫県神社庁」


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