式内 木積神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社号 式内社 丹後国與謝郡 木積神社
読み:古 コツミ、現 きつみ
江戸時代は「木積山王社」と称していた
所在地 京都府与謝郡与謝野町弓木字石田宮ヶ谷408
旧地名 丹後国與謝郡

御祭神 五十猛神(いそたけるのかみ)
配 大物主神(おおものぬしのみこと=大国主の別名)
例祭日 4月30日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹後国(タンゴ):65座(大7座・小58座)
與謝郡(ヨサ):20座(大3座・小17座)

近代社格制度 旧郷社

創建     年代不詳
本殿様式

境内摂社(祭神)

恵美須神社 事代主神(ことしろぬしのかみ)
速玉神社 素盞鳴尊(すさのおのみこと)
稲荷神社 保食神(うけもちのかみ)

一口メモ

国道176号線石田橋交差点から野田川の石田橋を渡ると、府道2号線の旧街道で、左方面は下山田、北近畿タンゴ鉄道野田川駅にも近い。直進するか右折して、石田地区公民館の道を山側へ登ると突き当りに神社が見える。丹後守護一色氏の弓木城があった。

歴史・由緒等

江戸時代は「木積山王社」と称していた

由緒

延喜式内社である。木積山王社と呼ばれた。隣の大宮町久住にも木積神社が鎮座している。ここには億計王、弘計王が祀られている。
宮津市内に日吉神社が鎮座し、やはり山王社「大山命、大己貴命」と呼ばれていた。また日吉神社の境内摂社には杉末神社「大物主命」があり、式内社論社である。
木積神社の南の野田川町は物部氏の祖神を祀る式内社が鎮座、また北には丹後一宮とされる籠神社が鎮座し海部の祖神の天火明命が祀られ、また浦島子や元伊勢の伝承も多く、この付近は古代史の要所と言える地域である。邪馬台国を訪問する魏使はここから大和へ陸行したのではないかと考えている。

境内・社叢

  
社叢                       社号標


社号案内板

  
境内                   手水舎

  
拝殿                    本殿覆屋(左)・拝殿(右)

  
境内社                   親子杉
恵美須神社 事代主神(ことしろぬしのかみ)
速玉神社 素盞鳴尊(すさのおのみこと)
稲荷神社 保食神(うけもちのかみ)

  

地名・地誌

弓木(ゆみき)

「いみのき」「ゆみのき」「いみき」ともいい、忌木(慶長郷村帳)・斎木(京都府町村沿革取調書)とも書いている。地名の由来を、『岩滝町誌』は、

東の方、岩滝区に近い方の山上に一色五郎義清の城跡がある。「けだし弓木の字名は一色の元の姓、忌寸から出たのではにかろうか」という説もある。また一説には、弓木は、忌除から転化したもので、即ち男山八幡神社の信徒一族に死人等があった場合に其の汚穢不浄を神に対して忌み憚り忌中の間一時此の地に転居したので此の字名がついたのであるともいわれている。

「丹後の地名 地理・歴史資料集」さん
江戸期~明治22年 與謝郡弓木村、枝郷に石田
明治22年 岩滝村
大正10年 岩滝町
平成18年3月 与謝野町

地 図

京都府与謝郡与謝野町弓木石田408

交通アクセス・周辺情報

参 考

「神詣」さん、「延喜式神社の調査」さん、「丹後の地名地理・歴史資料集」さん

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