浦嶋神社(式内 宇良神社)

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社 号 式内 宇良神社
式内社 丹後国與謝郡 宇良神社
読み:古 ウラ 現 うら
通称:浦嶋神社
所在地 京都府与謝郡伊根町本庄浜191
旧地名 丹後国與謝郡

御祭神
主祭神 浦嶋子(うらしまこ)
配祀 月讀命(つくよみ のみこと) 祓戸大神(はらえどのおおかみ)
例祭日 8月6・7日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹後国(タンゴ):65座(大7座・小58座)
與謝郡(ヨサ):20座(大3座・小17座)

近代社格制度 旧郷社

創建     年代不詳
本殿様式   神明造

境内摂社(祭神)

天照皇大神社・八幡神社・市杵島姫神社・弁財天神社・稲荷神社

一口メモ

浦島太郎伝説の神社。
住まいの中にそのまま釣り船が収納されるユニークな船宿で知られる京都府の伊根町にある。日本海に突き出た近畿最北の丹後半島の東。178号線から東へ「水之江の里 浦嶋公園」がある。その奥に神社がある。

歴史・由緒等

浦嶋神社(宇良神社)

浦嶋神社は延喜式神名帳所載によると『宇良神社』と記されている。創祀年代は淳和天皇の天長2年(825)浦嶋子を筒川大明神として祀る。浦嶋子は日下部首等の祖先に当り日下部については『新撰姓氏録』の和泉皇別の条に「日下部、日下部宿禰同祖、彦坐命之後也」とみえる。彦坐命は開化天皇の後裔氏族である。その大祖は月讀命の子孫で当地の領主である。浦嶋子は人皇21代雄略天皇の御宇22年(478)7月7日に美婦に誘われ常世の国に行き、その後三百有余年を経て53代淳和天皇の天長2年(825)に帰って来た。常世の国に住んでいた年数は347年間で淳和天皇はこの話を聞いて浦嶋子を筒川大明神と名付け小野篁は勅使として、勅宣をのべたうえ小野篁は勅命をうけたまわって宮殿を御造営し、ここに筒川大明神が鎮座されたのである。
この神社に伝わる浦嶋物語は起源が最も古く、すでに八世紀にできた丹後風土記・日本書記・万葉集などに記載されている。このような浦嶋子の伝説は、その後長く伝えられ『本朝神仙伝』や『扶桑略記』の雄略天皇記等、平安時代の文献にも収められている。又、この神社に伝わるものとして『浦嶋子口伝記』『續浦嶋子伝記』があり『續浦嶋子伝記』の巻首には「承平2年(932)壬辰4月22日甲戌、於勘解由曹局江之、坂上家高明耳」伝記と漢詞との間に「干時延喜20年庚辰臈一作8月朔日也」、巻末に、「永仁2年甲午8月24日、於丹州筒河庄福田村宝蓮寺如法道場、依難背芳命、不顧筆跡狼藉、馳紫毫了、」とある。これは、延喜20年(920)の制作で、承平2年(932)に注を付したこと、さらに、永仁2年(1294)に浦嶋子物語の発祥の地丹後国筒河庄の福田村にある宝蓮寺如法道場で書写した本が底本に用いられていることが判る。この永仁2年書写本は現存している。これらの古伝説は近世のお伽草紙の浦嶋太郎の物語とは様相を異にしている。又、古代より浦嶋神社に対して崇敬の念は厚く誠に顕著なものがある。

「全国神社祭祀祭礼総合調査」 神社本庁 平成7年

境内・社叢

  
鳥居                        本殿

  
蓬山の庭                      力石

嶋子が神女に誘われて水之江里より海の彼方の蓬山に 渡る物語を、丹後国風土記逸文は次のように記している。
「その地は玉を敷けるが如く 闕壹奄映しく樓壹玲瓏けり 目にも見ざりし所 耳にも聞かざりし所なり」云々
これは「とこよ」の有様を記したものだが、その他に 「蓬山」「神仙」「仙都」と書いて「とこよ」と読ませ、 日本書紀、浦嶋口伝説では「蓬莱山」を「とこよ」、 万葉集では「常世」を「とこよ」としている。
これは、古代中国の神仙思想の影響を強く受けた ものであり、この庭はこれら文献及び浦嶋明神絵巻(重文)に もとづいてつくられた。

-「境内案内板」-

地名・地誌

地 図

京都府与謝郡伊根町本庄浜191

交通アクセス・周辺情報

伊根の舟屋

参 考

「延喜式神社の調査」さん

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