式内 生野神社

      2017/01/20

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概 要

社 号 式内社 丹波国天田郡 生野神社
読み: 古 イクノ、現 いくの
江戸時代は「御幣(みてぐら)神社」
所在地 京都府福知山市字三俣541
旧地名 丹波国天田郡
御祭神 天鈿女命(あめのうづめ のみこと)

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
大37座(就中一座月次新嘗)小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
天田郡(アマタ):4座 並小

近代社格制度 旧村社

創建     年代不詳
本殿様式   流造 檜皮葺

境内摂社(祭神)

右手 皇太神宮、神明社、八幡社
左手 猿田彦社、稲荷社、武大神
境内 西宮社 大原社
例祭日 10月10日

一口メモ

福知山駅の南東12Kmほど。
左折して山陰道/国道9号線に入り10.8 km。舞鶴若狭自動車道を越えて3Kmほど。
9号線から少し北へ入った場所、上六人部小学校の北にある。

歴史・由緒等

式内社とは延長5年(927)藤原忠平によって調査され、延喜式目に選上登録された中央政府にも相当名の知られた神社のことで、当市内に四座ある。
祭神は天鈿女命で平和な舞踊や音楽を愛好されると共に、九州から伊勢まで男神を無事送り届けられたという勇ましい女神様でもある。
徳川時代の参勤交代には、当地方の領主綾部藩の九鬼氏をはじめ、福知山、舞鶴、宮津、峰山、豊岡、和田山等の大名が行列美々しく此の道を通る際は、必ず参拝して長途旅行の安全を祈願し、神前の榊の枝葉を戴いて御守とし、帰途これを返納したので以来、旅行、出張、転勤、外遊等の生活と道中安全の神様として有名である。
社殿は慶長年間(1600)関ケ原の戦の頃、社殿の改築があり、更に元禄年間(1700)忠臣蔵討入の頃、神祇管領より正一位を授けられているが社殿は後の山上にあった。
明治6年(1873)生野神社と改称、昭和4年(1929)拝殿新築、昭和8年(1933)社務所を建てた。
御幣神社 鎌倉時代(1100)から江戸末期(1800)までは、みてぐらはんと称えていた。これは、綾部藩主九鬼氏が生野に倉庫を建て上納米を取立てていたことによる。
氏子は三俣、池掘、堀越、正後寺、坂室の約250戸で、全地域を御神輿が巡行し、各区の御旅所で休憩するが、江戸中期には、下六人部学区の多保市の西和田ノ前という所に6m四方位の岩塚があり、その附辺が、中六人部学区の一宮神社の御神輿と、上六人部字区の御幣神社の御神輿と、立会祭礼の御旅所てあったともいう。
御加護 いづれにしても、地域社会の発展と商売繁盛、家内安全、学業成就、歌舞音曲の上達や旅行道中交通安全の神様として、御加護はすばらしいものがある。謹白

昭和58年(1983)10月10日
奉献氏子総代一同

「社頭掲示板」

境内・社叢

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社頭掲示板

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拝殿

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拝殿側面                 拝殿扁額

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本殿・拝殿

境内社

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入り口付近境内社

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境内右手前 境内社

地名・地誌

地 図

京都府福知山市字三俣541

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式神社の調査」さん、他

 - 福知山市 ,

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