式内 芹田神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社 号 式内 芹田神社

式内社 丹波国氷上郡 芹田神社
読み: 古 セリタ、現 せりた
江戸時代は「熊野権現社」と称していた
所在地 兵庫県丹波市氷上町鴨内宮ノ谷37
旧地名 丹波国氷上郡
御祭神 高雄神命(たかおかみ のみこと)
例祭日 10月9日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
氷上郡(ヒカミ):17座(並小)

近代社格制度 旧村社
創建     延喜5年(905)勧請
本殿様式   流造 銅板葺

境内摂社(祭神)

論社 大武神社(参考)
兵庫県丹波市春日町鹿場106

一口メモ

北近畿豊岡自動車道 氷上ICから県左折して県道7号線に「豊岡・朝来」の表示へ入る。御油(交差点) を右折してのまま 県道7号線 を進む(途中加古川を渡る手前に県道282号線への農道の近道があることが分かったが、ナビは県道7号線を指示)。右折して県道282号線に入る。1.4kmで高岩寺の表示で左折する。最初の角で左折(神社は高岩寺の左手にある)すると神社参道の標柱が両側に建っている。

歴史・由緒等

延喜5年(905)勸請
中古兵乱で荒廃、今の地に遷座
元禄15年(1702)造営
明治6年10月村社、熊野神社を芹田神社と改称

一説元は鹿場村に鎮座
一説元は西南にセドの宮と稱する大森に鎮座
中古兵乱で荒廃、今の地に遷座
江戸時代は「熊野権現社」と称していた

時維元禄の頃、この辺を豊岡県丹州由良村の鴨内村と呼んでいた、当所初代の庄屋を六兵衛という人が務めた、その頃由良の(今の北由良)に別所豊後の守という士族あり一円を治めた。

偶々元禄13年元旦のこと、早朝降り積もった大雪の中を白馬に乗り六兵衛を尋ねられて「この村に熊野大権現をお祀りしているか、実は昨夜夢枕に立たれ『この村に社を建て祀ってくれ』とのお告げがあった」と申された、そこで六兵衛は「社祠はないが手洗鉢所に大きな石を立てて熊野三社大権現様と村人が崇拝しております」と申し上げた。早速豊後守は六兵衛を連れて山を上って見ると不思議にも一カ所だけ雪が無く地面が露出していたのであった。

豊後守は「ここだ、ここが神のお告げの所である」と言って六兵衛に神殿の建立を強く要請されて帰られたのであった。六兵衛は早速村人を集めて相談し神殿の造成に取りかかった。当時としては多くの資財と人力を費やしての大事業である。
六兵衛自らは周辺の所有する山林七尾七谷(約3町歩)を寄進したのである。これが今の本社殿と宮の谷風致林である。
本社殿の造成と共に蔵王権現、ご神木〔天照皇大神)、瀬戸宮、八幡宮、貴船宮、山の神、天王宮、正一位稲荷大明神を合祀された。
別に秋葉山社、大峰山社は芦田宗左衛門氏が祭祀された。本社殿の完成は元禄15年と本社殿棟札に残っている。

「社頭掲示板」

境内・社叢

 

  
一の鳥居                 二の鳥居

    
掃除が行き届いている静寂な佇まいの参道   稲荷社

  
割拝殿か御神門風の長床式舞台  左にゆるい女坂もある       境内手前の境内社

  
手水舎                  本殿覆屋

   
拝殿扁額               境内社と覆屋

  
本殿両側 境内社


ご神木  ご神木の幹が成長し瑞垣が壊れかけている

地名・地誌

地 図

兵庫県丹波市氷上町鴨内宮ノ谷37

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式の調査」さん

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