式内 神野神社(兵庫県丹波市氷上町御油)

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社号  式内社 丹波国氷上郡 神野神社
読み: 古 カムノ、現 かんの
所在地 兵庫県丹波市氷上町御油字マガリ40
旧地名 丹波国氷上郡
御祭神 別雷命(わけいかずちのかみ)
例祭日 10月9日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
氷上郡(ヒカミ):17座(並小)

近代社格制度 旧村社
創建     応永31年(1424)頃現在地へ遷座
本殿様式   一間社流造
境内摂末社(祭神)
文化財 神野神社のヒノキ 市文化財

一口メモ

豊岡自動車道春日和田山道路青垣ICから県道7号線を南へ。御油交差点をまっすぐ109号線進みすぐの車道を西へ北御油公民館の奥へ。

歴史・由緒等

寛平年間(889~897)の創立。

明治6年(1873)、村社に列せられる。丹波誌には賀茂神社なり。

本殿は兵庫県指定文化財。

延喜式内社

「兵庫県神社庁」

神野神社は別雷神(わけいかずちのかみ)および嵯峨天皇を祀り、(特選神名帳・神祗志料は神野伊加許也姫神(かんのいかこやひめがみ)とする)寛平年中(889~98)の創立と伝える。もと円通寺の山にあったが同寺創建に際し、土地を譲って現在地に移ったという。

一間社流れ造り、こけら葺、南面して覆屋内にある。簡素な社殿で、正面は格子戸4枚を建て、その他は板壁である。組物は三斗組、軒は二軒、周囲に擬宝珠・高欄付きの縁をめぐらし、浜縁を備える。
身舎丸桁・向拜丸桁の上端に反り増しがあり古制を示している。破風・斗きょう・高欄等の木割、頭貫鼻・肘木鼻の絵様繰形などの細部手法等、室町末期を示している。県下における一間社の遺例としては貴重なものである。

「丹波市観光協会」

円通寺境内の池のあるあたりに神野神社は鎮座していたという。

歌人として・また「光源氏」のモデルとしても高名な河原の左大臣こと「源融」は西暦884年頃からこの地「山田村」に滞在、890年にこの池の辺りに父君の「嵯峨天皇」と「賀茂別雷命」を祭神に「賀茂大明神」を建立、その時の賀詞の一節からこの地を「御油」と命名したと言われます。

この神社は、約500年間総社として地域の人々の信仰を集めますが、円通寺の創建に際し北田井の「賀茂神社」、北御油の「賀茂野神社」(現神野神社)に分祀されます。

そそり立つ大杉は御神木と言われ、唯一当時の名残を留めています。またこの地で「伊可古夜媛」が古代の丹波(但馬、丹後を含む)を治めたとする学説もあり、この場所に賀茂大明神が祭られた訳が伺われます。

伊可古夜媛と結婚した「賀茂建角身命」(神武の東征・熊野上陸で先導をつとめた「ヤタガラス」その人と言われる)は、今の京都の賀茂を拓き「賀茂の鼎主」となり、「賀茂御祖神社」(下鴨神社)に祭られます。

一方の「上賀茂神社」の祭神でもある賀茂別雷命は二人の孫に当たります。

「社頭掲示板」

神野神社の社名は、賀茂神社(かものじんじゃ)から、(かみのじんじゃ)と転化したものとも考えられると思う。

論社

神野神社[かんの]「別雷命」兵庫県氷上郡氷上町御油字マガリ40
鴨神社「鴨別雷神」兵庫県氷上郡市島町梶原字カモ440

境内・社叢

  
鳥居


手水舎


神社案内板

  
神橋                                  入口境内社

  
境内                                  本殿覆屋


本殿右境内社

   
ご神木ヒノキ すごい高さ

現地情報

地名・地誌

御油(ごゆ)

890年にこの池の辺りに父君の「嵯峨天皇」と「賀茂別雷命」を祭神に「賀茂大明神」を建立、その時の賀詞の一節からこの地を「御油」と命名したと言われます。

地 図

兵庫県丹波市氷上町御油40

周辺情報

参 考

『延喜式の調査』さん、他

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