荒井神社(式内 嶋物部神社)

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社号 荒井神社
所在地 京都府南丹市八木町美里字荒井1
旧地名 丹波国船井郡
御祭神 荒魂神
健御雷命 經津主命 天兒屋根命 比賣神
例祭日 10月21日近い日曜日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
大37座(就中一座月次新嘗)小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
船井郡(フナイ):10座(大1座・小9座)
式内嶋物部神社論社

近代社格制度

創建     永禄9年(1566)
本殿様式   流造 檜皮葺

境内摂社(祭神)

文化財

荒井神社本殿 附 覆屋1棟 府登録文化財

一口メモ

吉富駅から、山陰道/国道9号線を北西に110 m進む。
で吉富(交差点) を右折して 府道408号線 に入る
1.1 kmで左折すると35 m右手。

歴史・由緒等

当社の創建年代は明らかでないが、『日本三代実録』の元慶6年(882)10月9日の条に荒井神社の名が記されている。現本殿については、永正16年(1519)9月8日桧皮屋根葺替時の寄付者名を書いた板札があることと、明治8年の『寺社取調帳』に、「永禄9年10月吉日造作」の板札が一枚あると記されていることから、室町時代後期の建立と考えられる。
本殿は、桧皮葺の一間社流造で、身舎は円柱、向拝は面取角柱である。柱は長押と頭貫で固められ、柱上には実肘木付出三斗が組まれる。軒は二重繁垂木で妻飾は豕扠首である。明暦3年(1657)の修理では、屋根葺替とともに軒より上の部分も補修されたが、当初の垂木が背面に一部転用されるなど、当初材がよく残る。向拝の木鼻の彫刻は地方色が濃く、実肘木や板蟇股の意匠や構造は、室町時代末期の丹波地方の神社建築を知る上で重要である。

「社頭掲示板」

本殿は永禄9年(1566)に建立されたもので、京都府登録文化財・南丹市指定文化財、境内は京都府指定文化財環境保全地区です。
「三代実録」元慶6年(882)10月9日条に丹波国荒井神として従五位を授けられたという記録があり、その当時には存在していたことがわかります。この付近には延喜式内社(延長5年/西暦927年の延喜式神名帳に記載された神社)の嶋物部神社があり、その所在は不明となっていますが、荒井神社は嶋物部神社の有力候補と言われています。真言宗西光寺の参道口に鎮座し、明治の神仏分離までは西光寺禅学院の両部僧(真言宗の神仏習合思想による僧侶)が神勤していました。
-「南丹生活」-

境内・社叢

  
鳥居                 手水舎

  
境内                 神楽殿(舞殿)

  
本殿                 本殿覆屋

地名・地誌

地 図

京都府南丹市八木町美里1

交通アクセス・周辺情報

参 考

『延喜式の調査』さん、「南丹生活」さん、他

Follow me!


0件のコメント

コメントを残す

Avatar placeholder

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA