道相神社(式内 神野神社)

投稿者: kojiyama 投稿日:

 

概 要

社 号 道相神社(式内 神野神社)
読み: どうそう、古 カムノ、現 かんの
所在地 京都府南丹市美山町宮脇ヒノ谷43-1
旧地名 丹波国桑田郡
御祭神 神武天皇 五瀬命(いつせのみこと) 木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)
例祭日 10月9日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
大37座(就中一座月次新嘗)小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
船井郡(フナイ):10座(大1座・小9座)

近代社格制度  旧郷社

創建      創祀年代は不詳
本殿様式

境内摂社(祭神)

末社 三吉神社
天村雲命(あめのむらくものみこと) 五十猛命(いそたけるのみこと) 熊野高倉事命(くまのたかくらじのみこと) 須佐之男命(すさのおのみこと)
若宮神社 天屋津姫命(あめのやつひめのみこと)・柧津姫命(つまつひめのみこと)
垣森宮 御祭神不明

文化財

道相神社本殿・拝殿 府登録文化財

一口メモ

JR園部駅(京都)からは、府道442号線を山陰道/国道9号線に向かって北東に170 m進む。園部駅前(交差点) を左折して、山陰道/国道9号線 に入る。
1.9 kmで園部河原町(交差点) を右折して、府道19号線に入り、6.8 kmで右折して、そのまま 府道19号線 を進む。
1.2 kmで左折してそのまま 府道19号線 を進む。
11kmで左折してそのまま 府道19号線 を進む。
5.6 kmで旧道に大きく右折すると左側。

駐車するスペースがなく、前の民家の道におばあさんに断って止めもらった。久しぶりに美しい京都弁を聞いた。

歴史・由緒等

創祀年代は不詳。

当神社は伝承古文書によりその由来が明らかにされ近郷最古の歴史を持つとされている。 又本殿破風には菊の御紋章を奉戴しその尊厳を弥が上にも崇め産土の神々を御祭神とし古代よりこの地方の総氏神として崇拝されて来た御社である。

抑当神社の由来は第十代崇神天皇御宇(前97年~前30年)に四道将軍の一人としてこの丹波地方に遣わされた丹波道主命がこの地方開発のためここ宮脇の地に野々宮御所を創建されたのが起源とされている。 爾来二千年、時代の変遷と共に御社名も野々宮、道主一ノ宮大明神、軽野神社そうして延長七年(929年)に道相神社と改名したとされている。 今の社殿は文政五年、野々村三十三ケ村[大野、河谷、岩江戸、向山、樫原、小渕、萱野、肱谷、音海、小笹尾、嶌、宮脇、原、市場、和泉、棚田、板橋、 下吉田、上司、沢田、中、大内、安掛、上久保、下平屋、上平屋、野添、深見、長尾、荒倉、砂木、栃原、棚、今宮、 亦林]氏子の尊い寄進により再建されたのである。 又一際参拝者の目を引く山門は寺院造りであり神仏混淆の時代(1700年~1868年)に建立され明治三十五年(1902年)復元往時の名残を今に留めている。 氏子たちは毎年十月九日を例際日とし秋の豊穣を祝いあって来た。とりわけ大正二年(1913年)には郷社昇格を祝い、 昭和四十四年(1970年)には軽野神社創建千五百年を記念して共に大祭を執り行って来たところである。 更に本年平成四年(1992年)は氏子総参加の元に古代を追憶しつつ、野々宮御所創建二千年記念大々祭を執り行うべく、着々とその準備を進めている。

今、この静かな鎮守の森は先人達によって築かれた尊い長い歴史の重みを秘め丹波美山の人々の幸せを見つめつつ二十一世紀という新たな時を刻もうとしている。
≪平成祭データより≫

美山町宮脇に鎮座する道相神社。神武天皇・五十猛命・木梨軽皇子を御祭神とし、創建は不詳ですが、崇神天皇の時代に四道将軍の一人として丹波に遣わされた丹波道主命が宮脇に野々宮御所を創建したのが起源と伝えられています。木梨軽皇子は允恭天皇の第一皇子で、野々村庄に中世以前から土着する旧家すべての始祖とされる人物です。氏子は、宮島の原・板橋・宮脇・下吉田・島・棚田・沢田・和泉・上司、大野の萱野、平屋の上平屋・安掛・又林・長尾・野添・深見・下平屋・荒倉・大内・上久保と、野々村庄の大部分にわたり、まさにこの地域の総氏神であり、旧郷社です。
文政5年(1822)のものである本殿・拝殿は京都府登録文化財、伝統行事の道相神楽は京都府登録無形民俗文化財、境内一帯は京都府の文化財環境保全地区に指定されています。
『南丹生活』

境内・社叢

  
鳥居                   手水舎


御神門

  
狛犬


神楽殿(舞殿)

  
拝殿・本殿

  

境内社

道相神楽

美山町宮脇の道相神社に伝わる伝統行事。道相神社では古くから25年に一度本殿の屋根を葺き替える慣わしがあり、その際に御神体を仮遷宮に移して完成時に元に戻す正遷宮祭を大祭としていた。大祭には宮元4集落(原・板橋・宮脇・下吉田)から神楽が奉納され、道相神楽と呼ばれてきた。道相神楽は、道化芸と大太鼓が一体となった曳山、恵比寿大黒に引かれる幟差し、俵振りという構成の行列で、原や板橋から出発し、芸を披露しながら移動して行って神社に練り込み、奉納する。道相神楽は昭和53年に屋根を銅版葺きに葺き替えたを最後に、周期を変更し、平成元年から3年ごとの例祭(10月初旬)に奉納されるようになった。平成16年の台風などでしばらく中止されていたが、道相神楽は平成20年10月12日に7年ぶりに奉納されることになった。道相神楽は京都府の無形民俗文化財に登録されている。なお、平成4年の「野々宮御所創建二千年記念大々祭」から、道相神楽に天田郡三和町(現福知山市三和町)の梅田神社の獅子舞いを取り入れた。

地名・地誌

美山町

平成18年1月1日、船井郡園部町・八木町・日吉町と北桑田郡美山町が合併し、南丹市が誕生しました。
広大な面積を持つ南丹市は、市の中でも地域によって気候が全然違います。気候的に京都市とほとんど変わらない旧船井郡八木・園部町に対して、福井県や滋賀県北部に近い美山町は前は北桑田郡美山町で、町面積は、340.47平方キロメ-トルで、京都府内の町村で一番大きい町だった。雪が深く、北山型入母屋造りの茅葺き民家で知られる。三国岳、頭巾山、長老山など、8~900メ-トル級の連山に囲まれ、その山あいを縫うように、由良川の源流が町の中央部を流れている。

川に沿って建てられた民家のうちおよそ250棟は、昔ながらの茅葺き民家で、特に北集落は茅葺き民家が多く残っており、自然景観と、茅葺き民家が調和して、日本の農村の原風景とも言うべき風情を呈している。この集落は国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。

地図

交通アクセス・周辺情報

参 考

「口丹波の社」さん

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