式内 気比神社

      2017/03/20

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概 要

社号 式内社 但馬国城崎郡 気比神社
読み: 古 ケヒ 現 けひ
所在地 兵庫県豊岡市気比字宮代286
旧地名 但馬国城崎郡田結郷気比村

御祭神
主祭神 五十茶狭沙別命(いささわきのみこと)
配祀神 神功皇后 仲哀天皇
(じんぐうこうごう ちゅうあいてんのう)
例祭日 10月15日
祭記事
例祭は神輿・大檀尻1基・小檀尻1基・樽神輿1基の巡行がある。

神輿の宮出しは壇尻の橋渡し神事から始まる。境内に架かる宇上橋に壇尻が各神輿を出迎える。
壇尻の担ぎ棒に神輿の担ぎ棒を添えて、厳かに宮出しが始まるのである。川面に映る逆さ神輿は何とも云えぬ荘厳さに満ちている。
神輿は村内の御旅所3ヶ所を巡る。
大壇尻は新築の家庭を祝って巡り、午後には村の広場で勇壮な競い合いが披露される。
夕刻還幸惜しまれながら、神輿は担ぎ手の唄う伊勢音頭と共に宮入する。
-「兵庫県神社庁」-

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
城崎郡:21座大1小20

近代社格制度 旧村社

創建     和銅二年(709)の創祀
本殿様式   流造 銅葺

境内摂末社(祭神)

稲荷神社

文化財

豊岡市指定文化財「ハナミョウガ群生地」

一口メモ

この神社は付近から但馬で唯一の完全銅鐸が4個も発見された場所でもあるので、以前から一度は訪ねてみたかったところ。場所は気比区といっても分かりにくく、だいぶ探し回り村はずれのた。

気比銅鐸発見場所(別途記述)の近くに式内社気比神社が建っている。気比の村はずれにある。気比(港)には、気比の浜海水浴場としても知られ、日本海側で最も至便。子ども事はよく連れてきてもらった。

歴史・由緒等

由 緒
社伝によると、和銅2年(709)の創祀。

神社から北へ少しの場所に、銅鐸出土地の史跡がある。

この地、兵庫県豊岡市(当時城崎郡港村)気比字鷲崎の突端において、大正7年(1912)9月15日港東小学校改築用の石材採取作業中に、東側の岩窟内部より出土した渦巻文流水文銅鐸4個は、東京国立博物館に所蔵されている。
豊岡市教育委員会はこの地をながく後世に保存するため、昭和48年(1973)6月15日豊岡市文化財に指定した。
今般気比川改修工事に伴う道路付替に際し、気比地区とともに環境を整備したものである。

-「兵庫県神社庁」-

『国司文書 但馬神社系譜伝』に、
田結郷 気比神社
城崎郡気比浦鎮座
祭神 五十狹沙別命・仲哀天皇・神功皇后

人皇十四代仲哀天皇の二年、神功皇后は道を北海にとり、穴門国に至るの時、粟鹿・養父・出石・小田井の諸神を参詣し、この浦に留まりたまう。
一夜(ある夜)、越前筍飯(気比)宮に坐す五十狹沙別大神夜の夢に見(まみ)え、皇后に教えて曰く、
「船をもって海を渡るには、住吉大神を祭るべし」と。
皇后教えを奉じ、住吉の三柱大神を祭り、御[食丁]を五十狹沙別大神に奉る。
故に気比大前神の十三世孫 気比彦命は、この三神を斎きまつるなり。

境内・社叢

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鳥居                   手水舎

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割拝殿

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狛犬

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本殿覆屋

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社殿右手に境内社 稲荷社         神域は豊岡市指定文化財「ハナミョウガ群生地」

地名・地誌

気比(ケヒ・けい)

『国司文書 但馬故事記』城崎郡に、
第14代仲哀天皇2年、
天皇は皇后・息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)とともに、越前笥飯宮(けひみや)に行幸されました。百名が従いました。そしてのち、皇后を笥飯宮に置き、さらに南を巡狩し、紀伊に至りました。
この時、偶然にも熊襲(くまそ)が反(そむ)きました。
(
笥飯宮 越前国一宮 気比神宮:敦賀市)

天皇は使いを越前笥飯宮に遣わし、皇后と穴門国(長門国)に会うことを教え給い、自ら海に泛(うか)び、穴門に至り給われました。

皇后は越前角鹿(今の敦賀)より御船道を北海に取り、若狭の加佐・与佐・竹野海(丹後)を経て、多遅麻国の三嶋水門*に入り、内川(円山川)を遡り、伊豆志大神に詣で給われました。

伊豆志(出石)県主・須賀諸男命は、その子・須義芳男命に教えて、皇后に従わさせました。
須義芳男命は、豪勇にして、腕力があり、射狭浅太刀を携えて随身しました。これを荒木帯刀部命と云います。

皇后は下って、小田井県大神*1に詣で、水門(気比)に還り宿られました。ある夜、越前笥飯(気比)宮に坐(いま)す五十狭沙別大神(いささわけのおおかみ)が夜の夢にあらわれ、皇后に教えました。

「船をもって海を渡るには、すべからく住吉大神を御船に祭れ。」と。
皇后は謹みて教えを奉じ、
底筒男命・中筒男命・表筒男命を祀られました。船魂大神これなり。
いま住吉大神を神倉山に祀るは、このいわれに依ります。(絹巻神社*1・名神大 海神社)

また御食(みけつ)を五十狭沙別大神に祀りました。ゆえにこの地を気比浦と云います。(今の豊岡市気比ノ浜・式内 気比神社)
のち、香飯大前神十三世の孫・香餌毘古命は、五十狭沙別命・仲哀天皇・神功皇后
をこの地に斎き祀ったと云います。

城崎郡田結郷気比庄
気比(ケヒ)・田結(タイ)・湯嶋・桃島・小島・瀬戸・津居山
右 気比庄と云う。

下鶴井・赤石・結(ムスブ)・戸島・楽浦(ササノウラ)・飯谷(ハンダニ)・畑上・三原
右 下鶴井庄と云う。

わかめ漁で知られる田結港の田結集落は、気比から北に位置し、城崎郡北部はかつて田結郷・田結荘の名前となっているほど古い集落だ。銅鐸が埋められているぐらいに古くから人が住み着いて気比邦があったかも知れないほど物部氏に縁がありそうな地名が多い。気比から山を越えると丹後や円山川を南へ抜ける。 丹後王国とも関係があったのかも。気比から丹後へ抜ける途中に畑上があります。畑上は秦神でしょうか?

地 図

兵庫県豊岡市気比286

交通アクセス・周辺情報

参道途中に銅鐸出土地がある。但馬地方で完全銅鐸が4つ同じ場所から出土したのはここだけ。

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参 考

 - 豊岡市(城崎郡) ,