概 要

社号 高神社
読み たか
多賀明神之社として奉祀、高村「大梵天王社 」と呼ばれて来た
延喜式神名帳 式内社 山城国綴喜郡 高神社 鍬靫

所在地 京都府綴喜郡井手町多賀天王山1
御祭神 伊弉册命(いざなぎのみこと) 菊理姫命(きくりひめのみこと) 伊弉諾命(いざなみのみこと)

高御産日命(タカミムスヒ)、(相殿)伊弉諾尊(イザナギ)・素盞鳴尊(スサノヲ)--高神社本源記

例祭日 10月16日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
綴喜郡(ツヅキ) 14座(大3座 小11座)
式内社

近代社格制度 旧郷社
創建   伝:欽明天皇元年(540)、東嶽に降臨、和銅4年(711)多賀明神之社として奉祀
本殿様式 三間社流造・檜皮葺

境内摂末社(祭神)

末社14祠

境内右手の末社殿

(左側) 春日社(天児屋根命)・伏拝八幡宮(仲哀天皇)・粟島社(大己貴命)・愛宕社(火産霊命)
(中央) 太神社(祭神・天照大御神)
(右側) 若宮八幡宮(仁徳天皇)・八皇子社(天穂日命)・天忍穂社(天忍穂耳命)・恵比須社(事代主命)

(本殿左手) 稲荷社(宇賀御魂命)・祈雨社(高龗神・天水分神)、(同右手) 聖神社(不明)
(境内右手) 一ノ御前社(武速須佐男命・櫛稲田姫)

(末社殿の左横) 誉田神社(応神天皇・神功皇后・玉依姫)

文化財  本殿 京都府指定文化財
鎮守の森 「京都府の自然200選」の「歴史環境部門」に指定
獅子頭  鎌倉時代の物と推定される 京都府登録文化財
高神社文書 鎌倉~江戸時代 京都府指定文化財

一口メモ

JR京都線・山城多賀駅の東約700m、駅東をほぼ南北に走る府道70号線を南下。鳥居からゆるいが石段が山の中腹まで一直線に延びており、ここから登るのはきついと思いながら、車を置いた林の脇道が車での参道ではないかと進むと正解で境内まで行けた。

歴史・由緒等

欽明天皇の元年、東嶽に降臨
和銅4年(711)多賀明神之社として奉祀
天平3(731)年 橘諸兄が詔を奉つてこれを高村に遷座した
同年 勅願により高御産日神の名より「高」の字を採って「多賀神社」を「高神社」とする
元慶2年(867)8月14日に龍神祭の争論で死者三郷社を一社に合祀することによって和睦
承久3年(1221)大乱の際に神託あり高神社を多賀神社と改める
寛元3年(1245)正一位
明治元年に神社制度の改正により大梵天王社「多賀神社」が現在の「高神社」となる
明治6年(1873)8月郷社

境内・社叢

  
一の鳥居                    鳥居左脇に祠

  
ゆるいが長く続く参道              二の鳥居

  
手水舎                     舞殿


拝殿

   
狛犬


本殿

  
境内右手の末社殿             一ノ御前社(武速須佐男命・櫛稲田姫)

  
(本殿左手) 稲荷社(宇賀御魂命)・祈雨社(高龗神・天水分神)  (末社殿の左横) 誉田神社(応神天皇・神功皇后・玉依姫)?

地名・地誌

地図

京都府綴喜郡井手町多賀天王山1

交通アクセス・周辺情報

参 考

「戸原のトップページ」さん、「延喜式の調査」さん

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