村社 三柱神社(新温泉町三尾)

      2016/10/03

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概 要

社 号 三柱神社
読 み みはしらじんじゃ
御火神社 『国司文書・但馬故事記』
江戸時代は「三宝荒神」と称していた

所在地 兵庫県美方郡新温泉町三尾54

旧地名 二方郡二方郷
御祭神 神速素盞嗚命カムハヤスサノオノミコト

五十狭沙別大神・息長帯姫命(神功皇后)・帯仲彦天皇(仲哀)鎮座す。 『国司文書別記 但馬郷名記抄』

御神紋
例祭日 10月9日

社格等

近代社格制度 旧村社
創建   年代不詳
本殿様式

境内摂末社(祭神)

文化財

「三尾の麒麟獅子舞」 八柱神社(大三尾)・三柱神社(小三尾) 町民俗文化財

一口メモ

赤崎を北の日本海に向かって進み峠のトンネルを越えると小さな入江が三尾。御火浦で知られる。三尾には当社と海岸づたいに東に(大三尾)に八柱神社がある。八柱神社も行きかけたが、日没近く時間がなかった。

『国司文書・但馬故事記』第八巻・二方郡故事記には記されていないが、『第四巻・城崎郡-』『第六巻・美含郡-』に、

人皇14代仲哀天皇2年 天皇は神功皇后とともに越前笥飯宮(気比神宮)に行幸された。のち皇后を笥飯に置き、紀伊国へ至った時、筑紫の熊襲がそむく。

天皇は使いを越前笥飯宮に遣わし、皇后に教えて、穴門国(長門)で会おうと伝えて。皇后は船により北の海から穴門国へ向かった。御船が美伊の伊佐々の御崎に至ると日が暮れた。五十狭別大神は御火を御碕に現したところ、海面が明るくなった。故にその地を伊佐々の御碕と云う。御火は御船を導き、二方の浦曲ウラワに至り止まる。故にその地を御火浦という。

歴史・由緒等

 創立年月不詳
元暦(1184~)以前山城国八坂神社より分霊を勧請すと伝え、近世三宝荒神と崇めたり。
明治初年三柱神社と改称し、同6年(1873)10月村社に列せらる。

「兵庫県神社庁」

息長帯姫命(神功皇后)は、越前国気比浦より御船の御し、北海より穴門国(のち長門国)に至る。この時、多遅麻の伊佐佐御碕において日暮るる故、五十狭沙別大神は御火を現し、二方の浦曲ウラワに導く。故に御火浦という。のち火を避け、尾とし、(御尾)三尾浦という。五十狭沙別大神・息長帯姫命(神功皇后)・帯仲彦天皇(仲哀)鎮座す。

『国司文書別記 但馬郷名記抄』

三尾には当社三柱神社(三尾は西を小三尾、東を大三尾というらしい)と海岸づたいに東(大三尾)の八柱神社がある。祭神は三柱神社・八柱神社というのに両社ともに祭神は神速素盞嗚命のみで、その他の祭神は記されていないのは同じだが。『国司文書・但馬故事記』神社神名帳に「御火神社」五十狭沙別大神・息長帯姫命(神功皇后)・帯仲彦天皇(仲哀)の三柱。『国司文書別記 但馬郷名記抄』にも同じ三神なので、三柱神社の社号と合うのでであるが、大三尾の方が御火浦に近いし、世帯数は大きい。元暦(1184)以前八坂神社より分霊を勧請する時点で、元々の祭神が不明になってしまったか、当地を治めた武士が八坂神社を勧請し、祭神を素盞鳴尊にしたのか。いずれにせよ御火浦はもっと北の大島のそばの御崎であり、当初はそこに鎮座していたものだろう。

境内・社叢

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鳥居                  石段

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狛犬

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拝殿

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本殿覆屋                 石祠 祭神は不明

地名・地誌

地 図

兵庫県美方郡新温泉町三尾54

交通アクセス・周辺情報

ホームページ

参 考

 - 旧浜坂町(二方郡) , ,