村社 八坂神社(兵庫県豊岡市日撫)

      2017/03/24

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概 要

社 号 八坂神社
読 み やさかじんじゃ
別 名 武塔天神、江戸時代は一に祇園天神、一に祇園牛頭天王
火撫神社? 『国司文書 但馬故事記』
所在地 兵庫県豊岡市日撫字谷口456-1
旧地名 城崎郡三江郷火撫村
御祭神 素盞鳴命スサノオノミコト
例祭日 1月7日

社格等

近代社格制度 旧村社
創建   年代不詳 (天平18年(746)冬12月 『国司文書・但馬故事記』)
本殿様式

境内摂末社(祭神)

稲荷神社、他一社

一口メモ

国道312号線から県道1号線になり、堀川橋西詰で橋を渡ると、左折し、六方水門(樋門)を過ぎるとすぐに右折する。鶴城址の南麓。『国司文書 但馬故事記』にある久々比神社・酒垂神社はあるが、火撫神社、御贄神社はどこら辺にあったのだろうか?三江(郷)には意外にも神社は少ない。『国司文書 但馬故事記』にある火撫神社か御贄神社かは断定しづらいが、御贄は三江、火撫は日撫の旧字なので日撫にあっただろう。日撫にあるのは神社は当社しかないし、三江には梶原の八幡神社しかない。

歴史・由緒等

 天正8年(1580)春夏の候、疫病流行して村民之に悩みしかば、蘇民将来の故事に倣い茅の輪の神事を行い、遂に武塔天神を勧請して之を祈る。是れ即ち当社なり。
武塔天神は一に祇園天神、一に祇園牛頭天王と称せしも、明治3年(1870)6月八坂神社と改め同6年(1873)10月村社に列せらる。

「兵庫県神社庁」

 天平18年冬12月 本郡の兵庫を山本村に遷し、城崎・美含二郡の壮丁を召集し、兵士に充て、武事を調練す。
判官、佐伯直麿は兵主神(素盞鳴神・武甕槌神)を山本村に祀り、主典、火撫直浅茅は、その祖、阿智王を火撫丘に祀る。(火撫神社。火撫は今の日撫)

『国司文書 但馬故事記』第四巻・城崎郡故事記

現在の日撫にある神社は八坂神社のみで、『国司文書・但馬故事記』にある火撫神社という神社の詳細は不明だが、おそらく同社ということになるだろう。田結庄是義が神社のある愛宕山に鶴城を築いて以降に、京の愛宕神社、祭神を素盞鳴尊とする八坂神社を勧請し、火撫神社を八坂神社と呼ぶようになったのではなかろうか。

境内・社叢

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鳥居                   神社の参道は愛宕山登山道にもなっている。(船町と山本貴船神社からも登山道がある)

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御不動?            石の祠

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狛犬

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本殿覆屋                 左手境内社 稲荷神社

地名・地誌

日撫ひなど

『但馬郷名記抄』御贄郷火撫

御贄ミニエ郷は小田井大神御贄の地なり。この故に名づく。神田(今の鎌田)・神服部(今の栄町・祥雲寺辺り?)・御酒所(酒垂神社から今の法花寺)・白雲山(白雲山が愛宕山の古語であれば山本・森辺り?)・馬地村(下宮?)・穀原村(今の梶原)・火撫(今の日撫)・物部村(今の赤石)・白鳥村(今の田鶴野・野上)・金岡森(今の金剛寺)・磐船島(今の船町)・黄沼島(今の宮島・一日市辺りか?)

ヒナゾ
*贄(にえ)
神または首長さらに天皇,貴人などへ供する魚鳥獣果実を中心とした食物。〈にえ〉は,共同体の収穫や獲得物を神または首長にささげる初物貢献儀礼の〈には〉〈にへ〉など新嘗(にひなめ)にかかわる語といわれ,共同体において,田からの初穂とともに神や首長にささげる山野河海の獲物の初物という性格をもっていた。さらに共同体間において,征服された共同体の土地からとれた食物を征服者へ貢献することによって服属のあかしとする,服属貢献物の性格もあった。『世界大百科事典』

御贄と同様に田結タイ郷は、古語は伎多由キタユ郷。「魚昔キタユ」貢進の地なり。このように御贄郷・田結郷という郷名は小田井神社・海(今の絹巻)神社の神祇に貢ぎ物である魚などの海産物、神田は神米・穀原は穀物、神服部から衣類を献上する、御酒所は御神酒、神火は神域などで焚く、けがれのない火や不思議な火、人知をこえた原因不明の火。落雷・噴火などによる出火をいうこともあるに由来する。御贄神社が三江の今の八幡神社とすると、火撫とは火を撫でる、なだめる、落ち着かせる場所のことかも知れない。

地 図

兵庫県豊岡市日撫456-1

交通アクセス・周辺情報

北近畿タンゴ鉄道宮津線「但馬三江駅」より西北西へ900m

愛宕神社 式内兵主神社(貴布祢神社)

参 考

 - 豊岡市(城崎郡) , ,