式内 大国主西神社(西宮神社境内末社)

      2017/01/21

IMG_8528-440x329

概 要

社号 式内社 摂津国莵原郡 大国主西神社(鍬靱)
読み:古 オホクニヌシノ、近代
江戸時代は「阿彌陀堂」と称していた。明治7年大己貴社を大国主西神社とした
所在地 兵庫県西宮市社家町1-17
旧地名 摂津国莵原郡

大国主西神社論社
越木岩神社 祭神:蛭子大神  兵庫県西宮市甑岩町5-4
御祭神
大名持命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなびこなのみこと)
例祭日 5月 15日大国主西神社祭

『神社公式サイト』http://nishinomiya-ebisu.com/index.html

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
摂津国:式内社75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))
莵原郡[ムハラ]:三座並小
式内社(鍬靱)

近代社格制度 旧県社

創建     年代不詳
本殿様式   流造銅葺

境内摂末社(祭神)

一口メモ

西宮神社の本殿向かって左。境内の隅にある。

歴史・由緒等

廣田西宮分離、及び大国主西神社の件
明治五年三月、官幣大社廣田神社と分離した戎社(西宮神社)には、代々廣田西宮両社の神主を勤めてきた吉井家の傍流吉井西家から、「西宮神社」祠掌として吉井良幹が任ぜられ、六年六月には西宮戎社を大国主西神社と改称し、祠掌に吉井良秀を補任している。

明治七年四月、この大国主西神社(西宮戎社)の村社から県社への昇格を願い出、大国主西神社として県社に列せられた(明治七年六月三十日)。

ところが、同年八月二十八日付を以て先の大国主西神社の社格を取り消し、西宮神社ともども廣田神社の摂社と定める旨、教部省から達しがある。この時点で教部省は、「西宮戎神社」と「大国主西神社」を別の神社と見ており、「西宮戎神社」を「大国主西神社」と改称し県社への昇格を願い出た西宮神社側との認識の違いが混乱の一因となっている。

氏子総代が異議申立てをした処、十一月七日に摂社の儀はそのまま、「西宮神社」「大国主西神社」共に県社と定めるとの指令があった。ここに云う「大国主西神社」とは、延喜式神名帳・摂津国菟原郡にある大国主西神社とも言われているが、元は境内の阿彌陀堂という仏堂で、享保二十年(1735)、大己貴命 少彦名命二柱を勧請し神社にしたとものとされている。

氏子総代等納得せず、さらに嘆願した処、県及び教部省は苦心、考証の結果、明治八年四月二十八日付で、「今更廣田神社 摂社の名称の取消しは出来ない、大国主西神社の由来に付いては確定出来ないので両社とも県社のままとする。但し、西宮神社は県社として別に祠官を定め社務・社入も別途とするも差し支えなし」と、一応の決着を見た。

大東亜戦終戦後は当然の如く、廣田西宮両神社は別々の宗教法人となり、大国主西神社は社格を持たぬ神社として、西宮神社の境内神社となっている。

(平成22年7月11日 「吉井良尚選集」より纏めた)
『神社公式サイト』より-

延喜式神名帳・摂津国菟原郡にある大国主西神社とも言われているが、元は境内の阿彌陀堂という仏堂で、享保二十年(1735)、大己貴命 少彦名命二柱を勧請し神社にしたとものとされている。延喜式神名帳に記載されているので、すでに平安期には「大国主西神社」の社号で呼ばれていたことは間違いないが、西神社が何に対して西を意味するのかが不明だ。
大国主西神社の論社はもう一社あり、越木岩神社 兵庫県西宮市甑岩町5-4 式内社が制定された時代からすれば、夙川上流部周辺の地名に西山、西平などがあり、その山すそ鎮座する越木岩神社が有力な気がする。

境内・社叢

IMG_8528-440x329  
社殿                   社殿扁額

地名・地誌

地 図

兵庫県西宮市社家町1-17

交通アクセス・周辺情報

電車:阪神本線「西宮駅」えびす口より徒歩5分
JR神戸線「さくら夙川駅」より徒歩8分
阪急神戸線「夙川駅」より徒歩15分

バス:阪神・阪急バス「西宮戎」または「阪神西宮」下車

お車:神戸方面からお越しの方(上り) ― 阪神高速神戸線西宮出口降りてすぐ
大阪方面からお越しの方(下り) ― 阪神高速神戸線武庫川出口降りて5分、戎前交差点を右折すぐ

参 考

『神社公式サイト』、阜嵐健『延喜式神社の調査』

 - 西宮市 , ,

ツールバーへスキップ