秋鹿神社(式内 御井神社)

      2017/01/27

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概 要

社号 秋鹿神社(合祀 式内 御井神社)
読み:あいか
江戸時代は「秋鹿姫二所大明神」と称していた

合祀 式内社 出雲国秋鹿郡 御井神社
『出雲国風土記』「御井社」
所在地 島根県松江市秋鹿2853
旧地名 出雲国秋鹿郡
御祭神
(秋鹿神社)秋鹿日女命(あいかひめ のみこと)
合祀 式内社 出雲国秋鹿郡 御井神社
御祭神 罔象女命(みづはのめ のみこと)(『古事記』では弥都波能売神)
合祀 八幡宮 御祭神 誉田別命
例祭日 (秋鹿神社)10月14日

社格等

式外社 秋鹿社 『出雲国風土記』

(合祀)御井神社
『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国 187座(大2座・小185座)
秋鹿郡[アイカ]:10座並小

近代社格制度 旧村社

創建
本殿様式 大社造変態

境内摂末社(祭神)

一口メモ

東西に細長い島根半島の松江市の西が旧秋鹿郡。島根半島には数年前までたくさんの郡と市町村が存在していたが、平成の大合併で西半分が出雲市に、東半分が松江市になった。それはそれとして式内社では旧国・郡郷名に意味がある。あきしかと読んでいたら「あいか」が正しい。その秋鹿のいわれも知ることができそうな秋鹿神社。駐車場がないので、通行量がない広い広域農道の神社の前にしばらく停車させていただく。

歴史・由緒等

御井神社は廃絶し、秋鹿神社と佐太神社にも合祀されている。出雲市にも式内御井神社はあるがそちらは郡が別である。
「延喜式神社の調査」さんによると、
御井神社旧地は、秋鹿神社の南で現在は田んぼの中に跡地が残る民有地。井戸があるがこの井戸が神井か否かは不詳。

秋鹿神社

創立年紀は不詳であるが、風土記所載の古社であり、記に依れば、秋鹿と名つくる所以は、郡家の正北に秋鹿日女命 坐す故に秋鹿と云ふ。依って該社再興或いは修復等の節には、郡中より 現米七俵を寄附する例あり。然るに、寛保3年度より、其例絶ん、明治5年3月、村社に列せられる。
秋鹿日女命は、天勅を蒙り、大己貴命の火傷を治療給はん為に此国に降り給ひて、其任を果し給ひ、御功績甚だ顕著であり、此の御功績ぞ即ち、大己貴命の遂に天下蒼生の為、大に利養厚生の道を開き給へし一の原動力と成れり。此の御縁由に依って永く此地に鎮座し給ふなり。

相殿   御井神社
祭神   罔象女命
延喜式内の社なりと雖ども、中古衰頽して秋鹿神社に合祭す。其年紀不詳、今の秋鹿社より南方距離90m、旧跡猶在り、森有 現在民有地、其中に神井三ツ有、古老の伝説に曰く、「井上の山の端に平地有り、此所に社有りしに、衰頽せしにより秋鹿社に合祭す。」と云ふ。三の井は、近年迄近隣住民の飲料とす。
又、中古より、社号を、秋鹿姫二所大明神と称するは、罔象女命と秋鹿日女命と坐す、所以なり。
相殿   八幡宮
祭神   譽田別命
八幡宮は、往古、秋鹿川の河畔に鎮座なりしが、某年、洪水の為、社地流亡したるを以て当社に合し奉れり。其年代不詳と雖ども、秋鹿神社 貞享3年の棟札に依れば、或いは此年ならん。

「社頭掲示板」

境内・社叢

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社頭・鳥居                手水舎

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立派な社頭掲示板(字がかすれて読めないので拡大しない)  随神門

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狛犬
出雲の狛犬は一般的なお座り型と、この狛犬のような腰を上げて今にも飛びかかろうというポーズの「構え獅子」型という2種類に大別されるそうだ。ポーズ以外は共通点が多い。使われている石が宍道町の来待(きまち)石で砂岩系の脆い石であること、北前船で日本海沿岸や各地に広く運ばれ、建立されている。

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拝殿                   拝殿扁額(左から)「式内社 御井神社」「秋鹿神社」「八幡宮」

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本殿 史料が見当たらないが階段が中央にあり「大社造変態」と思う

境内社

  

地名・地誌

秋鹿(あいか)

『出雲国風土記』
秋鹿と名つくる所以は、郡家の正北に秋鹿日女命 坐す故に秋鹿と云ふ。

地 図

島根県松江市秋鹿2853

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式神社の調査」さん、他

 - 松江市(秋鹿郡・出雲郡) ,