式内 山代神社

      2017/01/27

概 要

社 号 式内 山代神社

式内社 出雲国意宇郡 山代神社
読み:古 ヤマシロ、現 やましろ
『出雲国風土記』「山代社」
江戸時代は「山代大明神」「大山代神社」「高の森明神」と称していた
所在地 松江市古志原6丁目73
旧地名 出雲国意宇郡
御祭神 山代日子命(やましろひこ のみこと)

例祭日 10月9日 例大祭

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国:大2座・小185座
意宇郡(オウ):48座(大1・小47)

近代社格制度 旧郷社

創建     不詳
本殿様式 大社造銅板葺

境内摂末社(祭神)

幸神社・和田積神社・恵比須神社・須我神社・社日神社

一口メモ

昨年、周辺の出雲国庁跡・六所神社・真名井神社・八重垣神社・神魂神社を回り、時間がないので前を通過し、悔しい思いがあった。

歴史・由緒等

出雲国風土記で「山代社」と記されている。
風土記に「山代郷(中略)所造天下、大神大穴持命御子山代日子命坐」と見え、地域開拓神であった。
国風土記以来神名樋山(今の茶臼山)の中腹に鎮座していた。延宝8年(1680)古志原に移った。

山代神社由緒
出雲の国風土記並びに延喜式神名帳(日本で最も古い全国神社調査書)にしるされ、意宇郡山代郷(現在の山代町、竹矢町、八幡町、矢田町、東津田町、西津田町、上乃木町、浜乃木町、古志原町)の郷社として、もと神名樋山(今の茶臼山)の中腹に鎮座す。(現在も此の地に岩室の古跡あり)往時古志原村に産土神社なきため、天災凶作つづき移住者定着することなく、民生安定せずとなし、鎮守社として藩許を得て、延宝8年(1680)現社地に奉遷す。爾来、民生安定、厄除解運、家内安全を祈念し崇敬あつし。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年
「延喜式神社の調査」さん

境内・社叢

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社叢                   鳥居

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手水舎

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参道両脇狛犬

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拝殿

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拝殿扁額                 本殿

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境内の御神燈          本殿奥の神域

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参道左手の池

地名・地誌

山代郷
現在の松江市南東部辺り。
意宇郡の郡家は山代郷にあった。

地 図

松江市古志原6丁目73

交通アクセス・周辺情報

山代二子塚古墳
茶臼山中腹には山代二子塚古墳がある。日本で初めて「前方後方墳」と名付けられた島根県最大の古墳。全長94m、周囲の外堤を含めると150m。後方部の高さ9.5m。築造時期:6世紀中頃。付近には山代方墳、大庭鶏塚古墳などがあり山代・大庭古墳群と呼ばれている。

出雲国山代郷遺跡群
島根県松江市大庭町・山代町・矢田町一帯にある古代の遺跡群。
1980年に正倉の跡が出雲国山代郷正倉跡の名称で国の史跡に指定されたが、その後正倉跡の北側にある来美廃寺が『出雲国風土記』に記された北新造院の跡と確定したために、2002年に北新造院跡が追加指定され、指定名称が「出雲国山代郷遺跡群」に変更された。八雲立つ風土記の丘の一部として遺跡の整備・保護が進められている。

参 考

「延喜式神社の調査」さん

 - 松江市(意宇郡) ,