式内 桜井神社(国宝)

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社 号 式内社 和泉国大鳥郡 櫻井神社
読み:古 サクラヰ、現 さくらい
江戸時代 「八幡宮」

[合祀]

式内社 和泉国大鳥郡 山井神社(鍬靫) 御祭神:譽田別命、足仲彦命、息長帶比賣命
式内社 和泉国大鳥郡 国神社
御祭神 天照皇大神 熊野大神 山王大神 金峯大神 白山大神
所在地 大阪府堺市南区片蔵645
旧地名 和泉国大鳥郡
御祭神
中殿 譽田別命(ほむだわけ のみこと)=応神天皇
東殿 足仲彦命(たらしひこ のみこと)=仲哀天皇
西殿 息長帯比賣命(おきながたらしひめ のみこと)=神功皇后

『神名帳考証』「阿智使主」
例祭日 10月第1日曜日 例祭

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
和泉国:62座 大1座 小11座
大鳥郡[オホトリ]:24座 大1座 小23座
式内社

近代社格制度  旧府社

創建      推古天皇5年
本殿様式    流造

境内摂末社(祭神)

稲荷神社  保食神
戎神社   蛭子神 言代主命
招魂社   氏子戦死者 一八三柱
八阪神社  須佐之男命
若宮神社  仁徳天皇
高良神社  高良大神
武内神社  武内宿禰命
多賀神社  伊邪那伎命
玉桂屋神社 玉桂姫命
住吉神社  住吉大神
市杵島神社 市杵島姫命
春日神社  天児屋根命
菅原神社  菅原道真命

文化財

拝殿(鎌倉時代) 国宝
当社拝殿は昭和28年11月14日大阪の神社では住吉大社本殿四社とともに国宝建造物に指定をうけ、昭和53年屋根葺替等保存修理が行なわれた。神社拝殿としては最古の建築である。

国神社神像三体 大阪府文化財
桜井神社は平安初期の法令集「延喜式」に記述の見える由緒ある古社であるが、1577年織田信長の根来攻めの際、拝殿と本殿を残して焼失した。
拝殿は中央に「馬道」という土間の通り抜け部分を持つ割拝殿形式で、鎌倉時代の建築の特色をよくあらわしている。大正6年国宝に指定された。

秋祭「上神谷のこおどり」 大阪府下唯一の国の選択無形民俗文化財

一口メモ

和泉国式内社大鳥郡のなかでも、当社をぜひ参拝したかったのは、神社拝殿ではわが国最古の国宝の拝殿があるからである。

歴史・由緒等

桜井神社由緒略記

当社の創立は悠遠の時代で、社記及び諸文献には古代当地方に居住の桜井朝臣の一族がその祖先武内宿禰命を奉斎した事を伝えている。推古天皇5年(597)に八幡宮を合祀され上神谷八幡宮とも称せられ、応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を奉斎している。 古来、和泉国大鳥郡上神郷の総鎮守として醍醐天皇延喜の制(967)には官幣社に列せられた。歴代皇室の御崇敬厚く、事に当って度度祈願を仰出され、神領として荘田を寄進せられた。

中世武家の尊崇深く、建武4年(1337)上神城主上神常儀は社殿を造営し、元亀2年(1571)小谷城主小谷甚八郎政種は、三好氏との戦に分捕した陣鐘を奉納し、鐘撞料として御供田を献納した。

また南北朝時代(1336)には、当社及氏子は南朝に属し、上神・和田・桜井・木寺等の武将は、度々戦勝の祈願をこめ、御供田を献納して当社の奉護に尽した。

中世神宮寺建立以来、神仏習合の霊場として近郷は勿論、河内・堺方面より参詣者が続いて隆盛を極めた。今当社に残る古文書や石燈篭には、これら篤信者の名が記されている。
神域広大で社殿また荘厳を極めたが、天正5年(1577)織田信長の紀伊根来寺征伐の兵火にかかり、神宝古記録を焼失し、神領も没収せられ、社頭は一時荒廃した。

その後、天正16年(1588)加藤主計守清正の発願に依り、先づ阿弥陀堂が再建せられ、(最近棟札写発見)次いで元禄15年(1702)神門を再建、更に享保16年(1731)には鐘楼と宝蔵が再建せられ、漸く旧観に復した。

慶応4年(1868)神仏分離に際し、仏像仏具経巻等は、片蔵の金福寺へ移管し、阿弥陀堂は、別所の法華寺へ譲渡した。又鐘楼は、神輿庫に改造し現存している。

明治5年郷社に列し、同41年から43年には旧上神谷村内の国神社外九社を合併した。大正6年拝殿が特別保護建造物に指定せられ、昭和3年にはその解体修理が行われた。又同6年には中門と透塀を新築し、更に16年には社務所の移転改築と境内の整備を完成し、社頭の面目を一新した。翌17年には府社に昇格せられ、一層神威の尊厳を加えた。

戦後昭和26年文化財保護法の施行に基き、当社拝殿は昭和28年11月14日大阪の神社建築では住吉大社本殿四社とともに国宝建造物に指定をうけ、昭和53年屋根葺替等保存修理が行われた。

国宝、拝殿は鎌倉時代前期(1185)の建築である。木造切妻造・本瓦葺で、屋根の勾配が緩く、軒廻りは、円柱の上に舟肘木を置いて桁を受けている。妻飾は、梁間一ぱいに大虹梁を架け、蟇股二個を置き、その上に虹梁を架け、また蟇股を置いて棟木を受けている。いわゆる二重虹梁蟇股式の古い構架法である。内部は中央を土間の通路(馬道)とした割拝殿で、左右の間は板張で桟唐戸を入れている。この拝殿の特徴は、化粧屋根裏をはじめ、各部に簡素明快な鎌倉建築の手法を表わし、特に妻飾の二重虹梁蟇股の繰形が雄健で、神社拝殿としては最古の建築である。

府有形文化財国神社石燈篭は、「鉢峯山長福寺五所権現、応永19年3月17日勧進良秀」の銘文があり、松平定信の「集古十種」(1800)に載録された府下有数の古灯である。平成5年3月26日大阪府、堺市の補助により補修のあと境内神具庫に保存している。 宝物は、神像・神鏡・神輿・神額・狛犬・獅子頭・棟札・制札・出土品・古鈴・古瓦等で鎌倉室町時代(1185~1336)の物が多い。なかでも国神社神像三躯は府の有形文化財の指定をうけている。
古文書は、南北朝時代の争乱と、天正年間の兵火のため大半亡失したが、尚数百通あり。その内「中村結鎮御頭次第」二巻は、正平6年(1351)より明治5年まで520年間年々書継いだ宮座記録で、南北朝時代の公武勢力の興廃と、神社を中心とした社会秩序を知る他に類例のない貴重な史料である。

国の無形民俗文化財「こおどり」は、古来鉢ケ峯寺氏子が国神社に奉納して来た神事舞踊である。音頭取の歌に合せて、「ひめこ」を背負った赤黒の鬼神と、三尺棒を持った赤黒の天狗四人を中心に、一文字笠紋付に締太鼓を持った太鼓打八人と鐘打、扇振が新発知を先頭に外踊、鐘と大鼓の囃子で踊る古典的な郷土芸能で、明治43年当社が桜井神社に合併以来その秋祭に奉納され、現在は10月第一日曜日の例祭に行われる。

-「社頭掲示板」-

境内・社叢

  
神門                   社号標

  
入口狛犬

  
手水舎                  参回所というのか神社によくある休憩所

   
拝殿前狛犬


境内案内板

  


拝殿(割拝殿) 国宝

  
内拝殿                  社号標

  
内拝殿                  本殿

境内社

  
戎社                   招魂社


稲荷社

地名・地誌

地 図

交通アクセス・周辺情報


桜井古跡 神社の手前左手

桜井井戸と呼ばれ、悠久の昔より桜井神社御祭典に深い縁故を有し、古来夏祭りに御神幸あり、和泉名所図絵にも登載の古跡である。 常に清水湧出して枯渇することがなかったが、明治18年(1885)の大洪水により河川氾濫して埋没、大正4年(1915)御大典記念に30年ぶり復旧、さらに平成元年(1989)妙見川拡幅、宮橋架け替え工事の竣工により整備保存されたが、井戸は現存しない。 平成元年10月31日

「掲示板」

参 考

「延喜式神社の調査」、他


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