県社 佐保神社(社)

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社 号 佐保神社
読み:さほじんじゃ
延喜式神名帳 式内社 播磨国賀茂郡 坂合神社
読み:サカアヒ
所在地 兵庫県加東市社777
旧地名 播磨国賀茂郡
御祭神
天児屋根命(あめのこやね のみこと)(中殿)
天照大神(東殿) 大巳貴命(大国主命) (西殿)
例祭日 10月16日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
山陽道 式内社140座 大16(うち預月次新嘗4)・小124
播磨国(ハリマ) 式内社50座(大7座・小43座)
賀茂郡(カモ) 8座(並小)

近代社格制度 旧県社

創建      垂仁天皇23年4月
本殿様式   流造銅葺

境内摂末社(祭神)

恵比須神社・八幡神社・神明神社・神明神社
神明神社・秋葉神社・若宮神社

文化財

元禄12年(1699)の高札(市)や、永禄12年(1569)銘の随身像、天文4年(1535)銘の楽太鼓

一口メモ

坂合神社の論社は3社ある。
住吉神社(加西市北条町)
〃 佐保神社(加東市東実)
〃 佐保神社(加東市社)
当社は坂合神社の有力な論社。
由緒を見ると、今から約120年前の養老6年(西暦722年)3月に神託(神の御告げ)を受けた阿倍野三郎太夫(社町野村小部野の人と伝えている)という翁が、加西の鎌倉峰よりお遷し申し上げた。宝亀10年(779)9月16日現在地(東実)に遷座。東実の佐保神社の分社であったともある。

社の町は低い丘陵地に南北にあり、当社は西の県道567号線社交差点と商店街の間にある。広い参道の奥に楼門があり、境内にも地元の駐車場となっているようだ。

歴史・由緒等

当社は初め境あるいは坂合と称えたが、のち佐加穗(サカホ)又は佐加袁(サカヲ)になり、更に現在の佐保又は佐袁(サヲ)に変つたという。
むしろ東実の佐保神社の分社であつたが交通路の変遷や、門前町の集落の巨大化にともなつて分社が大きくなり、遂には本社を圧倒する程成長して、本社、分社の関係が転倒したものと思われる。

由緒

佐保神社は、最初、名前を坂合神社と呼んでいました。ところがこの呼び名が、時代と共に変わり、佐加穂となり、更に現在の佐保神社となりました。
御祭神は中央の御殿に天児屋根命、東側の御殿に天照大神、西側の御殿に大己貴命(大国主命)の三神で、別名三社大明神と呼ばれていたのは、このためでまた佐保大明神とも称されるようになりました。
次に当神社の歴史について少し説明したいと思います。
先ず、いつ頃から現在の場所に鎮座されていたかと申しますと、記録によれば、奈良時代の初め(元正天皇の治世)今から約120年前の養老6年(西暦722年)3月に神託(神の御告げ)を受けた阿倍野三郎太夫(社町野村小部野の人と伝えている)という翁が、加西の鎌倉峰よりお遷し申し上げたとのことです。
それ以来、当神社は、社町・滝野町・小野市の一部にまたがる広い範囲にわたり、氏神様として人々の深い信仰を集めてきました。とりわけ、鎌倉時代には尼将軍として有名な北条政子が当神社を崇敬し、本殿の再建や四方に八基の鳥居を建てさせたりしている事実から、当時では既にかなり著名な神社であったことがわかります。江戸時代に入り、数回本殿の建て替えが行なわれ、現在の建物は、延享4年(西暦1747年)8月に再建されたものです。
全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年

境内・社叢

  
瑞神門(随神門)              社号標


社頭掲示板

  
瑞神門狛犬

  
手水舎                  能舞台(神楽殿)

  
拝殿                   拝殿扁額

  
狛犬

  
本殿

  
境内左手 稲荷神社            鐘楼

  
左境内社 (左から)秋葉社、神明社、神明社

  
神明社・愛宕社、神明社、金比羅社      八幡社、諏訪社

  
恵比寿社                 本殿左手 明神社

  
本殿右手境内社 先宮社     天満宮

地名・地誌

社町

「やしろ」の名前は当社の門前町として発展してきたことに由来します。

地 図

交通アクセス・周辺情報

鉄 道
JR加古川線・社町駅下車 神姫バス乗り換え
バ ス
神姫バス 社営業所停留所 ・徒歩1分
お 車
中国自動車道 滝野社インターから南へ5分

その他
高速バス中国ハイウェイ津山方面行 たきの社インター下車

参 考

「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他

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